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楊式太極拳の伝承

 

河北省永年県広府鎮の古城近くに、昔ながらの造りの家がある。「楊式太極拳」の創始者である楊露禅の旧居だ。「楊氏家系図」の前で、楊式太極拳の由来と伝承について話を聞いた。

「陳家の太極拳は楊家が伝え、楊家の太極拳は班侯が広めた」「露禅が天下を創り、班侯が天下を切り開き、健侯と澄甫が天下を広めた」。地元に伝わる民謡である。

楊家三代で確立

楊露禅の肖像画
楊露禅(1799~1870年)は3回にわたって河南省温県の陳家溝を訪ね、陳式太極拳の大家・陳長興に師事して18年間学んだ。1840年代、北京に移り住み、それまで「門外不出」だった太極拳を教えた。さらに、各種の拳法に長じた挑戦者たちを次々に負かし、その名を北京にとどろかせた。

1864年、楊露禅が瑞王府の講師として招かれると、太極拳の名声もますます高まり、朝廷から国技と尊ばれるようになった。楊露禅は、貴族の子息をはじめ、より多くの人が太極拳を学べるようにと、難しい動きをなくし、套路(型)を穏やかなものにした。そしてその後、楊家三代にわたって改善を重ね、楊式太極拳が確立された。

楊澄甫の肖像画
楊露禅の次男楊班侯(1837~1892年)と3男楊健侯(1839~1917年)は相次いで北京へ行き、父親について太極拳を教えるようになった。

楊班侯の太極拳の腕は群を抜いており、多くの達人が集まる大会で無敵だったため、「楊無敵」と呼ばれた。1868年、父親の言いつけに従ってふるさとの永年県南関に帰り、それから20年にわたってたくさんの弟子を育てた。

楊健侯は楊露禅が亡くなった後、跡を継いで北京で太極拳を教えた。楊露禅の套路をさらに穏やかなものにし、よりいっそう普及させた。

楊健侯の長男楊少侯(1862~1930年)と3男楊澄甫(1883~1936年)は1902年に北京へ行き、父親について太極拳を学び、教えるようになった。とくに楊澄甫は、楊式太極拳の3代目継承者のなかでもっとも成功した人物であり、もっとも傑出した太極拳の教育者でもある。

社会のニーズに応じて伝統的な套路を簡略化し、年齢を問わずに学べるようにした。現在もっとも広く普及している楊式太極拳の套路は、ほとんどが楊澄甫によって形作られたものだ。

楊澄甫はまた、太極拳の教え方を体系的にまとめ、1934年に『太極拳体用全書』を完成させた。楊澄甫には子どもが4人いるが、みな、太極拳の普及に力を注いだ。

海外にも広がる

太極拳を教える韓清民さん(左)
楊澄甫の兄弟の孫娘婿である傅鍾文(1903~1994年)は楊澄甫について太極拳を学んだ。そして1944年に「上海永年太極拳社」を創立。中国国内はもとより、日本や米国、シンガポール、ドイツ、イタリアなどにも赴いて太極拳を教えた。教え子は数十万人にのぼる。

息子の傅声遠はオーストラリアに移り住み、「オーストラリア永年太極拳社」を創立。「世界永年太極拳連盟」の主席でもある。40以上の国や地区を駆け回って太極拳を伝えている。

楊式太極拳の伝承から、太極拳が永年県から中国全土に普及し、そして世界に広がっている様子を見ることができる。

今日の伝承の担い手

韓清民さん一家の四世代
早朝、古城のお堀のほとりで太極拳を練習している人たちの姿を目にした。1人の指導者が熱心に教えている。

指導者の名前は韓清民さん。1957年に生まれ、幼いころから父親について太極拳を学んだという。12歳のときに楊式太極拳の大家である傅鍾文の弟の傅宗元(1913~1984年)に師事した。1994年には、傅鍾文からマンツーマンで太極拳を教えてもらう機会に恵まれた。

韓さんはこれまで数々の大会に参加し、何度も入賞している。テレビドラマで太極拳を指導したこともある。2003年には「永年広府楊露禅太極拳学院」を創立。これまでの5年間で2000人以上に太極拳を教えてきた。

父親の韓会明さんは今年83歳。永年県の楊式太極拳継承者の最年長だ。29歳の息子も太極拳を教えている。孫はまだ8歳だが、すでに太極拳の学習者の1人だ。韓さん一家の4世代から、永年県の太極拳の明るい未来が見える。(文・写真=魯忠民)0809

 

人民中国インターネット版 2008年10月

 

 

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