人々の保護神 熱帯雨林
ゴムの木がもたらした変化
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雲南のゴム林 |
シーサンパンナの熱帯雨林は、アジア熱帯雨林の最北端にあり、中国でもっとも面積が広く、生物資源がもっとも豊富な熱帯モンスーン雨林であり、瀾滄江―メコン川流域に残されたもっとも古い原始林の一つでもある。同地域では、すでに多くの熱帯雨林が開発によって破壊されてしまったが、中国では早くも1950年代からシーサンパンナの熱帯雨林保護を意識し始めたため、現在ここの熱帯雨林は、メコン川流域においてもっとも保存状態のよい雨林の一つとなっている。これは、中国だけではなく、世界的にも大変貴重なもので、ほかの土地で絶滅に瀕している多くの生物が、ここでは依然として生存している。
マンタン村はかつて、シーサンパンナの熱帯雨林の中心部に位置していた。しかし、10年前、政府の熱帯雨林保護企画の実施に際し、村人たちは中心部から周辺地区へと引越した。やがて新しい生存環境に適応するため、新しいライフスタイルを創り出した。
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切り口から流れ出したゴムの樹液は、木の下の碗に流れ落ちる |
ゴムの木はもともと南アメリカのアマゾン川流域原産だが、熱帯雨林気候に属するメコン川流域も、ゴムの木の栽培には絶好の条件が揃っている。ゴムの木の栽培によって、マンタン村はたちまち豊かになった。かつて、雨林の中で暮らしていたときには想像もつかないことであった。ゴムは現代生活に欠かせない資源であるため、ゴムの木を栽培することで彼らの生活は徹底的に改善され、雨林に頼って暮らす必要はなくなった。
マンタン村はかつて、ナパガー村と同じくらい貧しかった。電気もなく、道路もなく、雨林の外に出ようと思ったら、歩いて行くほかはなかった。村からもっとも近い町まで40キロ以上もあり、村人は普通1年に1回出かけるのがやっとで、山の幸を売ったり、懐中電球やライターといった生活用品を買ったりするのがせいぜいであった。ナパガー村のカンムスオエンさんは相変わらず木の摩擦熱を利用する古くからの方法で火を起こしている。より節約できる方法であるからだ。
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ゴムの木に切り口をつけている老婦人 |
ゴムの木の栽培は、ボーグアンジアオさんたちの生活に思いがけぬ変化をもたらした。メコン川流域の各国で、ゴムの木の栽培が迅速に発展している。現在、世界の70%以上の天然ゴムが、この地域から産出される。そのため、タイではいくつかの熱帯雨林の模範保護地域(国立公園)以外、熱帯雨林はほとんど失われてしまった。
共通の憂い
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タケークは、周囲数十キロがうっそうとした熱帯雨林に囲まれている |
「昔はこの季節になれば、竜竹、黄竹、毛竹などがどれもたくさんあったのに、今ではだんだん少なくなってしまった。……私たちは甘筍だけしか食べてなかったけれど、今では竜竹も食べるようになって。そのうち竜竹までなくなってしまうかもしれないわね」
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ゴムの木に切り口をつけている地元の人 |
熱帯雨林の存在は、人類が地球上で生まれ、生存するための基本条件の一つである。太陽の光、水源、穀物、食塩などと同様、人類に欠かせないものなのである。
メコン川流域の熱帯雨林は、植物天国であり、動物天国でもある。ある科学研究の資料によれば、ラオスの原始雨林に生息する生物の種類は非常に豊富で、すでに判明している鳥類だけで437種もいるという。ラオスの南部では、320以上も魚類がいるという。もし、世の中にいわゆるエデンの園が本当に存在するのなら、それはまさに熱帯雨林に違いない。
この百年来、近代化の発展に伴い、メコン川流域のゴム栽培面積は急激に拡大し、この地域に巨大な富をもたらした。原始林はほとんどがゴム林や畑となり、残った雨林は、生態の孤島となった。ゴム林は無制限に広がり、熱帯雨林の連続性が破壊された。ひたすらゴム林を発展させた結果、生態系のバランスが崩れてしまったのである。 ゴム林の発展は熱帯雨林に対する破壊だけではなく、そのものが「汚染」であった。樹液の収集は、ゴムの木の転化能力と土壌の生命力に依存したものであり、輸血と同様、血液が足りなくなったら、さらに多くの栄養を補わなければならない。研究によると、ゴムの木の栽培による土壌の浸食率は熱帯雨林の3倍であり、土地のもつ生産力の連続性に深刻な影響を及ぼす。土地の生産力が次第に失われてくると、人間はその土地を放棄し、新しい土地を開墾してさらにゴム林を栽培する。悪循環である。その結果、ゴムの木の生存に必要な気候や環境も、雨林がなくなるにつれて失われてゆく。
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ラオス中部の都市タケークの通りで目に付くのは女子学生ばかり。同世代の男子の半分は寺院で教育を受けている |
この先、カンムスオエンさんも付近の雨林を伐採し、ゴムの木を栽培することになるのだろうか? そうでもしない限り、彼は永遠に苦しい生活を続けることになる。村を後にし、車の中でそんなことを考えたが、祈るしかないと思った。
神様、どうか彼にご加護を。(文・写真=李暁山)0810
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