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木の葉に刻まれた経文と多彩なマンダラ

 

多彩なマンダラの制作

南伝仏教に対し、瀾滄江―メコン川流域のチベット仏教を信仰する若い僧侶たちは、独特の技術を持っている。それは多彩なマンダラを制作する技術である。

同じ夜明けごろ、中国雲南省シャングリラのスムツェンリン(松賛林)寺の若い僧侶は、石粉で多彩なマンダラを作り、法会開催の用意をしている。マンダラはサンスクリットの「曼荼羅」であり、想像の中のパーフェクトな世界、宇宙の秩序を象徴するものである。世界を構築するもっとも基本的な元素の色彩の石粉で、多彩に輝く宇宙のイメージを築いている。その制作過程は複雑で非常に難しく、あらゆる段階で膨大な時間と精力を費やさなくてはならない。

雲南省最大のチベット仏教の寺院であるスムツェンリン寺

若い僧侶たちはまず白い石を搗いて細かく砕き、粉にしたものをさまざまな色に染め、布の袋に入れる。大きな木の板に決められた形の線を書き込んでから、細部の仕事に入る。石粉は、牛の角の先に長くて細い銅管をつけた円錐状の器に入れられる。僧侶たちは木の板に腹ばいになるようにして、棒で銅管にそっと触れる。その銅管から流れ出た五彩の石粉で、花や模様、城などを描く。制作に携わる人は、うっかり石粉を飛ばしてしまわないよう、呼吸するのも慎重に、息を殺すようにして作業をする。美しくも儚い石粉は、何よりも仏教におけるこの世の「無常」の本質的な理念を表すことができる。

法会の開催まであと10日ほどあるが、多彩なマンダラを築くにはもっともシンプルなものでも5、6日ほどかかる。この間、スムツェンリン寺の僧侶たちは、慎重に精神を集中させ、自分の心に世界のもっとも鮮やかな色を集め、仏教世界における生長、存在および幻の変化を実証する。

貝葉経の物語

中国雲南省シーサンパンナのマンチュンマン(曼春満)村に、カンランジアオ(康朗叫)というお年寄りが暮らしている。彼はいつも林で特殊な木の葉を採ってきて、それを煮て乾かし、そこに文字を刻む。貝多羅葉に経文を刻むこの貝葉経は、千年あまりの歴史を誇る。

かつて南アジアと東南アジアには紙がなかったため、なかなか仏教典籍が伝わらなかった。しかし、貝多羅樹の葉にしかるべき処理を加えることで字を書くことができ、さらに湿気や虫も寄せ付けないことが可能となり、経文を写すのに用いられるようになった。その経文を貝葉経と呼んでいる。

印刷術が発展し普及するにつれ、古代の経文が書かれたこの貝葉経は次第に貴重なものになっていった。技術の伝承も途絶えてしまった。カンランジアオさんは、出家していたとき、寺で貝葉経の作り方を学んだという。彼が経文を刻み込んだ貝葉経は、村人たちの求めに応じて寺へ送られ、祀られた。それはやがて観光記念品としても注目され、観光客に販売されるようになり、特殊な文化を知らしめることになった。

貝葉経の経書を読むマンチュンマン村の僧侶(新華社) ダイ族のお年寄りに貝葉経の制作を学ぶ若い僧侶(新華社) 

貝葉経の危機は、メコン川下流のカンボジアでも同様に顕著である。ただ、その危機は伝承が途絶えてしまうこと以上に、貝葉経そのものが失われてしまうことにある。

1970年代のカンボジアは、戦火に見舞われ、数え切れないほどたくさんの貝葉経が戦乱中に破棄の憂き目にあった。カンボジアの人々が新しい生活の建設を進めている現在、精神的な拠りどころの建て直しも求められている。貝葉経には仏教教義のみならず、数々の歴史的な出来事や伝説も記載されていた。貝葉経は大メコン川流域各国の歴史を研究するための重要文献であると同時に、カンボジアの重要文化財でもある。

戦争が終わると、リン・グオアンさんはプノンペンで人力車で生計を立てながら、仏教とサンスクリットの勉強を続けていた。

ある日、フランス人のお客さんから、木の葉に書かれた典籍を知らないかと尋ねられた。もちろんリンさんはそれが貝葉経のことを指しているのだとわかった。このフランス人は貝葉経を保護し、管理するために、カンボジアの宗教機関と協力して貝葉経の研究所を設立している人だった。リンさんはこのとき、戦火を逃れた貝葉経を保護することの意義の大切さに目覚めた。

リンさんは人力車を引くのをやめ、貝葉経の研究所で働くことになった。千年もの時を経て伝えられてきた木の葉が粉々になり、風とともに消え去ってしまう前に、なんとかして見つけ出して保存し、そこに記録された歴史や文化の情報を整理したいという思いを胸に、彼は力を尽くした。

十数年という長い時間を費やして、彼は同僚とともにプノンペンの88の寺とカンダル州の365の寺で貝葉経を捜した。そのあとコンポンチャム州に移り、村を一つ一つ、寺を一軒一軒ていねいに捜した。人目につかないようなところも、床板も見逃さなかった。見つかったときには、現地で修復・整理に取りかかった。

雲南省シーサンパンナのダイ(傣)族の貝葉経文(新華社)

長年にわたる戦乱で、貝葉経は人々の視野の外にあった。多くの人は、もはや文字の書かれたこの木の葉がいったい何を意味するのかも知らなかった。リンさんたちは、寺の僧侶にこの経書の価値を説明し、将来全面的な整理のために、辛酸をなめ尽くしてきたこの貝葉経をしっかりと保存しておくよう頼んだ。

ある日、リンさんはコンポンチャム州の村人が貝葉経について語るのを耳にした。

20年ほど前、戦火がコンポンチャム州のある寺の近くまで迫っていたときのことだ。貝葉経の価値を十分に知っていたその寺の高僧は、村人たちを集め、牛車で寺の中の貝葉経をすべて運び出すと、各家の屋根裏部屋や穀倉、野菜畑に分散して隠し、戦火から守った。

その当時、その高僧の取った行動はきわめて危険を伴うものであった。その功績はいまでも村人たちに仏教説話のように讃えられ、語り継がれている。リンさんがこの新しい寺を訪れたときには、その高僧はすでに亡くなっていた。リンさんは合掌して跪くと、寺に保存されている高僧のミイラ像に無上の尊敬の意を表した。

「多くの貝葉経が保存されている寺はほかにもありますが、これほどまでにきちんと整理されている寺はどこにもありません。貝葉経に記載されている物語はどこよりも揃っています。カンボジアにとって、これは非常に大きな幸いです。大量の経典を後世に残してくれたのですから」

 

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