内蒙古自治区ウーシン旗 草原に流れる馬頭琴の音色
ウィーンでもコンサート
ウーシン旗文化センターの四階は馬頭琴博物館で、百棹以上の選りすぐりの馬頭琴が展示されている。案内係によると、これは蒙古族の馬頭琴演奏家のチ・ボラグ(斉・宝力高)氏が五十数年間、心血を注いで集めた収蔵品だという。そして一つ一つの馬頭琴に物語がある。その収集のため、彼は内蒙古、新疆ウイグル、遼寧、吉林などの省や自治区を訪れたほか、モンゴル国や日本、ロシアにまで足を伸ばした。
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馬頭琴の製造プロセス❶ 材料選び、線引き、形取り。ヘッドと棹にはカバ、カエデ、カリン、マホガニーが用いられることが多い |
馬頭琴の製造プロセス❷ 入念に作られる馬頭琴の棹 |
チ・ボラグ氏は1944年2月2日に内蒙古自治区のホルチン草原に生まれ、チンギス・ハン(1162~1227年、モンゴル帝国の初代皇帝)の長男であるジョチの後代ともいわれ、もとは莫力廟の第五世の活仏で、現在は中国国家一級演奏家だ。馬頭琴芸術に従事して五十数年、西洋のバイオリンの演奏の技巧をとり入れ、伝統的な馬頭琴そのものと音源の改良に成功し、演奏の弓法と運指法も統一し、馬頭琴芸術を世界の舞台に押し上げる条件を整えた。彼は国内外で馬頭琴の養成クラスを何回となく開き、その弟子は6000人以上に及んでいる。また、彼は「野馬」という初の馬頭琴アンサンブルを結成、それまでの独奏・伴奏しかなかった馬頭琴芸術に新しい道を切り開いた。アジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカの四大州の国々を訪問し、国内外で数百回に及ぶコンサートを行った。チ・ボラグ氏は、世界の音楽の都といわれるウィーンのゴールデンホールで馬頭琴コンサートを催したただ一人の中国人演奏家だ。彼は中国文学芸術界連合会と文化部から前後して無形文化遺産の伝承者に認定されたほか、世界音楽平和賞及び世界遊牧文化の最高賞とされるチンギス・ハン賞など多数の国際的な大賞を受賞した。
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馬頭琴の製造プロセス❸ 棹の先端部分に馬の頭の彫刻を施す。別に馬の頭を彫刻して、棹の先端に取り付けることもある |
馬頭琴の製造プロセス❹ 弦軸は「把子」とも呼ばれ、エンジュ、マホガニー、紫檀などが用いられる。円錐形、八角形、ウリ形、扁平な耳の形など、形状はさまざまだ |
チ・ボラグ氏から見れば、馬頭琴は遊牧民族が大自然からのインスピレーションを得て創造した楽器で、その音は生まれたばかりの赤ん坊のような新鮮な生命力を彼に感じさせた。「馬頭琴には魂と思想がある。生き生きとした命があり、喜びも悲しみもともにしてきた私とは、共同体であり、互いに感知したり腹を割って語り合ったりすることもできる」と彼は語る。チ・ボラグ氏の創作した『オルドス高原』や『万馬のとどろき』『スーホの白い馬』『初めて昇る太陽』『探す』(合奏)『運命』(四重奏)などの馬頭琴の名曲を鑑賞すれば、馬頭琴がなぜこんなに人間の魂を揺さぶるのかが分かってくるかも知れない。
国家認定の無形文化財に
岩絵と歴史資料によると、古代蒙古族はヨーグルトの杓子を加工したのち牛の皮を張り、二本の馬の尾の弦を張って楽器として演奏したので、「杓子型の胡琴」と呼ばれていた。かなり多くの専門家がこれを馬頭琴の原形としている。今でもモンゴルの西部では馬頭琴を「杓子型の胡琴」と呼ぶ人がいる。楽器の柄の先は、馬の頭だけではなく人の頭、髑髏、ワニ、鼈、あるいは龍の頭などに形どられている。他にも「マーテル」と呼ばれる、形は龍に、顔は猿に似、悪魔を退治する一種の神獣を象徴する造型もある。ある学者は馬頭琴は、唐・宋の時代に現れた弦楽器、奚琴から発展したものであるとする。チンギス・ハン時代に至って民間に伝わったとされている。マルコ・ポーロの『東方見聞録』では、12世紀に韃靼人(蒙古族の先祖)の間で流行っていた二弦琴がその前身であろうとしている。明・清の時代になると、馬頭琴は宮廷楽団でも使われるようになった。
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馬頭琴の製造プロセス❺ 共鳴箱は台形、六角形あるいは八角形をしており、枠にはカエデ、カバ、コウヨウザンなどが用いられ、また両面の板にはチョウセンマツやアオギリが用いられることが多い。昔は子馬、子牛あるいは羊の皮が張られたが、今ではほとんどが木製の板になった |
馬頭琴の製造プロセス❻ 共鳴箱の枠を作る |
伝わった地域が違うと、馬頭琴の名前や、形、音色、演奏法もそれぞれ違う。内蒙古西部地区では「モリンホール」と呼ばれ、東部では「チョール」と呼ばれている。その伝統的な演奏法は二種類ある。一つは内蒙古東部地区で流行っているホルチン奏法で、やわらかで優美。もう一つは西部地区で流行っているトルホト奏法で、音色ははっきりして明るい。この数年の研究・開発を経て、馬頭琴の音質、音量、音色とも大きく改善され、その製造も標準化し、演奏も規範化されてきた。以前は主に史詩劇や民謡の伴奏として使われた。改良後は独奏や斉奏、協奏及び交響楽団での合奏にも使われ、芸術的表現力がいっそう豊かになった。
1989年、「中国馬頭琴学会」が内蒙古で成立し、1990年には「野馬」馬頭琴楽隊が創設され、集団演奏の先駆けとなった。2001年のフホホトの馬頭琴奏者千人による『万馬のとどろき』の斉奏、2006年の吉林省前郭県での1199人による斉奏は、前後して『ギネス世界記録』に登録された。2006年と2009年、蒙古族馬頭琴音楽と馬頭琴は前後して中国無形文化遺産に認定された。
ここ数年、ウーシン旗政府は馬頭琴文化を中心とする全民向けのイベントを行うなど、保護・伝承、推進・普及、人材育成と製造・販売を一体化した「馬頭琴文化の都市」の建設に力を注いでいる。まず馬頭琴人物データベースを作った。次に普及のため、「中国馬頭琴学会ウーシン旗支部」を設立し、九つの「馬頭琴文化協会」と62カ所の「馬頭琴文化ステーション」を設立した。また、コンサートホールやテーマミュージアム、文化広場の三大プロジェクトの建設も計画している。第三は人材育成。ウーシン旗馬頭琴音楽学校を開き、六つの鎮(町に当たる)と一部の村に育成クラスを設け、一部の学校で馬頭琴音楽を必修科目に設定し、ウーシン旗馬頭琴アマチュア楽団を結成した。第四は製造・販売。四社の製造企業を誘致し、年に6000棹以上の製造規模に達した。