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四川省瀘州市 伝統地酒が4大名酒に古い酒蔵が醸し出す味

 

魯忠民=文・写真

長い年月を経た酒蔵を「老窖」という。四川省南部にある瀘州の「老窖」は、その名を天下に馳せる。

瀘州は、歴史的に由緒のある文化都市であり、名酒を産することでも有名である。

秦漢時代から発展

国窖広場に聳え立つ老窖グループの文化センタービル
瀘州は、古代には巴国に属していた。酒の文化の歴史は非常に長い。三星堆の文化遺跡の発見によって、巴蜀文明の誕生は4800年前に遡ることがわかった。大量の古代祭器の出土は、古代において祈祷師が酒を飲んで、自己陶酔に陥り、天上の神々と対話したことを裏付けている。北魏の農学者、賈思勰の『斉民要術』が巴蜀の人の酒造りを記載しているように、巴蜀の人々は独自の酒造法をつくり出していた。

瀘州の酒造業は秦漢時代に始まり、唐宋時代に興り、明清時代に盛んになり、新中国になってさらに発展を遂げた。その脈々とした伝統を受け継いだ瀘州老窖グループは、百年の歴史を誇る老舗の暖簾を持つ酒造企業で、明清時代に存在していた36軒の蔵元を基礎に発展してきた国営の基幹企業である。

瀘州老窖博物館には、老窖の酒造の歴史を展示している。瀘州から出土した漢代の陶製の角型杯や酒を飲む陶俑、石棺に描かれた飲酒図などは、瀘州の酒造りの歴史が秦漢時代にまで遡ることを裏付けている。北宋の詩人、黄庭堅が瀘州(当時は江陽と呼ばれた)に左遷されたとき、『山谷全書』の中で彼が見たことを次のように記録している。

「この地では、蔵元がずらりと立ち並び、役人から村民までみな自前の酒粕の床を持っており、どの家でも酒をつくっていた。しかも驚くことに、官製の酒よりも民のつくった酒の方がおいしいのだ」

かなりまとまった史料の記載によると、瀘州老窖の生産がかなりの規模に達したのは明代の万暦年間(1573~1619年)以後である。「舒聚源」という老舗の誕生がそれを示している。清代になると、瀘州の酒造業は非常に盛んになる。「天成生」「洪興和」「順昌祥」など数十の蔵元が相次いで現れた。「温永盛」は「舒聚源」の酒蔵を受け継いだものだ。

酒は古くから詩歌との縁が深い。杜甫、李白、陸游ら歴代の大詩人はみな瀘州老窖に対し賛美の句を残している。その中でも、清代の有名な詩人、張船山の詩「城下の人家 水上の城……」の句が人口に膾炙している。

「1573」国宝の窖池群

国宝窖池の外壁に描かれた「酒の歴史」の壁画

瀘州老窖の酒造業は、四川省・宜賓市の銘酒、五糧液の工場群のように醸造工場が集中して規模の大きいものではなく、瀘州市内や付近の郷鎮の数十カ所に分散している。過去には最高10084に達した老窖の窖池(穀物などの原料を入れて、発酵させる池)が受け継がれ酒造りが行われている。その中には、百年以上の古い窖池が1619もある。

瀘州老窖は香りの濃厚な中国の「白酒」(蒸留酒)の発祥地であり、1573年に中国で最初に建造され、その後、ずっと使用され、最も完全な形で保護されてきた「1573国宝窖池群」で生産され続けている。1996年に、国から業界初の全国重点文物保護単位に指定され、2006年5月に第一陣の中国「国家級無形文化遺産リスト」に登録された。瀘州老窖特曲は西鳳酒(陝西省)、汾酒(山西省)、茅台酒(貴州省)と並び、中国最古の四大名酒の一つに数えられ、1915年にパナマ万博で金賞に輝いた。「国窖1573」は中国の「白酒」を評定する際の基準となる酒であり、中国白酒の高級ブランド品になっている。

「老窖」を貯蔵する純陽洞。純陽洞内、酒の入った甕が約7キロ並べられている
瀘州老窖博物館の裏には「1573国宝窖池群」の工場がある。見学者は見学ルートに沿って大きなガラス越しに生産現場の全貌や作業員が酒を造る工程を見ることができる。

工場の内部や周囲に98の窖池が密集している。これは老舗「温永盛」が残した、3、400年の歴史を持つ窖池群だ。中央の四つは明代の万暦年間につくられた「1573国宝窖池」である。窖池は長さ3.8メートル、幅は2.4メートル、深さ2.4メートルで、厳選された五渡渓の黄泥粘土に龍泉井の水を混ぜてつくったものだ。

酒造りに適した環境の中で、酸性の水やアルコールなどが絶えず浸透し、月日の経つうちに、各種の良質菌が繁殖する池となる。有益な微生物が400種類以上ある。時間が経てば経つほど、微生物の種類と数、香りを生み出す物質がますます多くなり、醸し出される酒の香りもより芳醇になる。これが、業界の人がよく言う「古い蔵がよいお酒を生む」理由である。こうして、瀘州老窖は「芳醇で濃厚、清冽で甘く、後味がさらに良く、余韻が尽きない」という独特の風格を樹立した。

国宝窖池と共存する龍泉井

工場内に入るには特別な許可が必要である。「1573国窖」は瀘州老窖グループ傘下のひとつの生産工程で、職工は36人。みな働き盛りの男性である。「起窖」(酒粕を掘り出す)「造酒」「開封窖」(蒸しあがった酒粕を蔵にいれて寝かせてから掘り出す)という三つの班に分かれている。造酒班は三交替勤務体制で、ひとつの班は8人、「人が休んでも道具がやすまない」態勢になっていて、百十分ごとに交替する。その仕事は、原料の槽の撹拌、蒸留、入窖などの8つの工程があり、これが酒づくりの基本工程である。

造酒班の班長・趙永江さんは、1974年生まれ。高校を卒業して瀘州老窖技術学校に合格し、微生物と酒造を専攻し、3年間勉強した。一時期就職したが、再び自貢理工学院で3年制の学部を卒業して、2008年に現在の仕事場に勤め、班長になった。趙さんによると、職工のほとんどは退役軍人で、ほかに大学生一人、大学院院生一人がいる。

会社側は、すべての職工に対し、利き酒の能力を持ち、酒の品質を判断できるようになるよう求めている。見学者がよくやってくるため、作業員への要求も厳しい。たとえば、作業服はいつも清潔でなければならないし、タバコを吸ってはいけない、などだ。しかし伝統的な製法を踏襲しているため、すべてが手作業で、労働はかなり厳しい。

 

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