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広西チワン族自治区河池市 神聖なる銅鼓の音とカエルを崇める人々

魯忠民=文・写真

広西のチワン族は言う。

銅鼓は天の雷神が、天下に威力を示すために造ったものだ。

研究者は言う。

銅鼓は銅釜という古代の調理用具が転化したものである。

広西チワン族自治区の北西部に位置する河池市は、古くから「銅鼓の故郷」と言われるところである。2011年12月10日、同市で行われた「第12回銅鼓民謡芸術祭」で、東蘭県の500台の銅鼓が一斉に叩かれ、この壮観な場面は上海大世界ギネス(中国独自のギネス)に記録された。

チワン族で現在銅鼓を叩くことのできる人は中高齢者が主である

銅鼓は中国南方の少数民族地区や東南アジア各国で最も代表的な古代の遺物であり、歴史学界では「北鼎南鼓(北方は鼎、南方は鼓)」と言われる。春秋時代から現在まで、銅鼓は2000年余りの歴史の中で、数十の民族に使われてきた。河池市に民間で収蔵されている古くから伝わる銅鼓は1417台あり、中国全土の博物館に収蔵されている銅鼓の総数1460台にほぼ等しい。ここのチワン(壮)族、ヤオ(瑶)族、ミャオ(苗)族は今に至るまで銅鼓を叩く風俗を維持している。

◆銅鼓を守った人

東蘭県都のあるアパートに韋万義さんを訪ねた。韋さんは東蘭県蘭陽郷生まれで、現在すでに84歳の高齢だが、まだまだかくしゃくとしている。彼は幼いころから銅鼓に魅せられていた。彼の家には先祖代々伝わる四台の銅鼓があり、毎年秋の収穫が終わるとあずまやに掛けておき、大人も子どもも旧暦の正月になるまで、これを叩き続けたそうだ。東蘭県のチワン族は4台の銅鼓を一組として使い、それぞれがド、レ、ミ、ソの四つの音を発する。また、銅鼓をオスとメスに分け、オスの音が高く、メスの音は低い。オスとメスが一つのペアを組み、四台の銅鼓で二つのペアを組む。演奏の時は、まずオス、次にメスの順で叩き、互いに呼応して、異なるピッチとリズムを作り、豊作祝い、結婚、家の新築祝い、老人の葬儀などさまざまな場面で使用する。昔は村ごとに銅鼓があり、宗族がこの所有権を持ち、順番に村民の家の居間の神棚の下、あるいは穀物倉の中に置かれた。

東蘭県の銅鼓の民間コレクター、韋万義さん

東蘭民間銅鼓収蔵館の陳耀霊館長(左)は、37年間に150台余りの銅鼓を収集した

チワン族は銅鼓を神聖視する。伝説によると、昔、紅水河に水鬼が住んでいた。この化け物は、舟を転覆させたり、農作物をだめにしたりして、常に村に災いをもたらした。そのため、いつも深夜になると銅鼓を持ち出し、これで水鬼と戦った。鬼に勝った年は天候に恵まれる。チワン族の伝統的なお祭りであるカエル祭り(螞拐節)でも、銅鼓は一番重要な道具である。昔、ヤオ族の村で不吉な兆しがあったときには、「大還願」という行事を行い、12日間、昼も夜も休みなく銅鼓を叩き続けたという。

韋さんはかつて塩関係の仕事に従事したり、政府部門や学校、工場などで働いていたりした。1958年に起きた大製鉄・製鋼運動(鉄鋼の大増産を目指し、各家庭から鉄の材料を供出させた)の時、銅鼓は大きな災難に遭った。韋さんは危険を冒し、自分の銅鼓を大きな養蜂箱や牛糞の山の中に隠した。これによって、彼の銅鼓は鋳潰される危機から逃れることができた。彼は工場で、人々が二台の車に満載した銅鼓を地面で砕いている場面を目の当たりにし、あまりに心惜しく、辛く感じた。この時から、韋さんはあらゆる機会を捉えて銅鼓を集め始めた。彼はしばしば廃品回収所に足を運び、銅鼓を発見すると、わずかな収入の中からお金をやりくりしてそれを買った。このため、農耕用の牛やブタを売ることになり、妻と言い争いになった。家にあった銅製のたらい、鍋などすべての銅器を持ち出し、それと銅鼓を交換したこともあった。彼の自宅の10平方㍍足らずの居間には、テーブルの上にも床にも銅鼓がいっぱいに並べてあり、その数は32台にも達する。韋さんは収蔵するだけでなく、銅鼓の発展と変化、神話と伝説、象徴的機能など理論の方面からも大量の調査と研究を行っている。また、さまざまな演奏の仕方についても、音譜で記録を取っている。

第12回河池銅鼓民謡芸術祭で、500人の鼓手が一斉に銅鼓を叩いた

現代文明は銅鼓文化に大きな影響を与えた。民俗活動における使用回数が少なくなり、演奏できる人も減っている。「第12回銅鼓民謡芸術祭」に参加した500人の銅鼓の打ち手は、ほとんどが40歳以上であった。「多くの若者は出稼ぎに行ってしまい、銅鼓を打つ機会がなくなり、また、トランプやカラオケを好み、銅鼓を叩くことは好みません」と、韋さんは言う。

銅鼓文化を受け継ぐために、韋さんは息子、息子の嫁、孫に銅鼓の演奏を教え、今はこの3人も演奏できるようになった。そして、集めた銅鼓のうち9台を故郷の周楽村に持ち帰り、村民らが自由に練習できるようにした。彼は高齢にもかかわらず、銅鼓演奏チームを組み、各地で公演を行っている。また、銅鼓の専門書「東蘭銅鼓歴史考」の編纂にもう7年間も費やしている。

カエルの葬儀を行う晩に、村人は焚き火を囲み、カエルの歌を歌い、カエル踊りを行う

1999年から、河池市は年一回「銅鼓民謡芸術祭」を行うこととし、現地の11県(市・区)が順番にそれを主催している。韋さんはこのことを非常に嬉しく思っている。さらに、2004年、広西チワン族自治区は「紅水河流域銅鼓芸術保護プロジェクト」を開始し、河池市に10の銅鼓伝習クラスをつくり、東蘭県と南丹県に一つずつ銅鼓芸術保護村を設置した。河池市の文化部門は全市にある昔から伝わってきた銅鼓すべてを調査し、その「履歴書」を作って、銅鼓の略歴、特徴と所有者の情況などを記録し、写真も添えた。

 

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