濃い味コメディー『厨子戯子痞子』
文・写真=井上俊彦
ここ数年、興行収入急上昇の勢いは止まらず、ますます多くの作品が公開され、さまざまな話題が生まれている中国映画です。そこで、このコラムでは地元・北京の人々とともに映画館で作品を鑑賞し、新作や映画界の話題を紹介していきます。同時に、そこで見聞きしたものを通して、北京の人々の生活も感じ取っていければという姿勢で映画館通いをしていきますので、お付き合いいただければ幸いです。
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ポスター |
黄渤+劉燁+張涵予でコメディー?
4月に入っても国産映画の好調が続いてます。前回ご紹介した『北京遇上西雅図』に続いて、清明節の連休に向けて公開されたジョニー・トー監督の『毒戦』、グアン・フー監督の『厨子戯子痞子』がともにヒット中です。このうち、“シェフと役者とごろつき”という不思議なタイトルを持つコメディーを見に行きました。
物語はいきなり日本語のラジオ放送から始まります。731部隊が使ったコレラ菌が変異し、北平(現在の北京)にまん延、中国人だけでなく日本軍にも被害が拡大しているというのです。そんな時、日本の軍人が、ふとしたことから街のごろつき(ホアン・ボー)に襲われら致されます。ごろつきは日本人を連れて日本料理店に逃げ込みますが、そこでその店の主人(リウ・イエ)と店に雇われた京劇役者(チャン・ハンユー)に出会います。3人は、この日本人を殺せば日本軍の怒りを買うし、逃がせば抗日の八路軍を裏切ることになるためもめます。やがてこの日本人が細菌研究者であることが分かり、変異したコレラ菌が金になるはずと目ぼしをつけた3人は、研究者を脅して研究の成果を聞き出そうとします。しかし、彼らの足並みは乱れ、なぜか日本語ができる店主はこっそり研究者に肩入れします。実はこの3人には大きな秘密があったのです……。
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3階のロビーはゆったりした長椅子が置かれ、リラックスした待ち時間を過ごせる |
同監督作品でおなじみのホアン・ボーはともかく、日本では好青年のイメージが強いリウ・イエと戦争映画で無口なヒーローを演じるなどしてきたチャン・ハンユーが参加してのコメディーとはどんなものになるのだろうと、少々心配しながら見ました。案の定、最初は繰り出すギャグがくどく、その一方でオチがなくやりっぱなしのものもあるなど、微妙に居心地の悪い感じでしたが、慣れてくるとそのリズムも悪くないと感じるようになりました。
ブラックな笑いの奥を深読みする
結局、コメディーといっても、オシャレでさわやかな『北京~』とは正反対に、グアン・フー監督作品らしくドロドロ、ゴタゴタ、一部“わけ分からん”という、ナンセンスでくどい作品で、「重口味」コメディーとしてネット上でも賛否両論が巻き起こっています。
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チケット売り場は1階にあり、書店とカフェが併設されている。ホールは地下と3階部分にある |
「重口味」とは、料理の濃厚な味付けのことですが、好みに関しても使われます。普通の人が少々受け入れ難いようなマゾヒスティックなもの、グロテスクなものなどです。そして、「重口味电影」とは、色情的、暴力的、血なまぐさい、気持ちの悪いなど刺激的映画のことです。ただ、流行語となっているため、次第に比較的軽い意味でも使われることが増えており、前回ご紹介したオジさん好みに関しても「私、“大叔控”なの」と言うと「まあ、“重口味”ねえ」と返されるといった具合です。
また、濃い味でブラックなユーモアの数々は、実は社会風刺的な深読みもできるものばかりで、独特の空気です。物語のほとんどは、謎の日本料理店・犬飼料理(店名も何やら暗示的)で展開されるので、小劇場の演劇のような感覚があり、また店の造りは『キル・ビル』を思い出させるようになっています。
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大規模なビジネスセンターそばでは、早朝に朝食を売る屋台がいくつも見られた |
もちろん、深読みなどしなくても十分に楽しいのは、店主の妻役リァン・ジンを加えた4人の個性的演技によるところが大きいと思います。さらに、日本人俳優の演技も物語の盛り上げに大きく貢献しています。日本軍の将校・柳田桜(田中千絵)や研究者の小笠原(大塚匡将)などは、最近の中国テレビドラマにやたら登場する現実離れした日本兵とはだいぶ違います。
【データ】 厨子戯子痞子(The Chef, the Actor, the Scoundrel) 監督:グアン・フー(管虎) キャスト:リウ・イエ(劉燁)、ホアン・ボー(黄渤)、チャン・ハンユー(張涵予)、リァン・ジン(梁静)、田中千絵 時間・ジャンル: 108分/コメディー 公開日:2013年3月29日
UME国際影城(安貞店) 所在地:北京市東城区北三環東路36号環球貿易中心E座 電話:010-58257733 アクセス:地下鉄5号線和平西橋駅A出口から東へ徒歩10分
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プロフィール |
1956年生まれ。法政大学社会学部卒業。テレビ情報誌勤務を経てフリーライターに。 1990年代前半から中国語圏の映画やサブカルチャーへの関心を強め、2009年より中国在住。 現在は人民中国雑誌社の日本人専門家。 |
人民中国インターネット版 2013年4月2日