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温故知新─先人たちが懸けた橋

北京一七六光彩文化産業発展有限公司代表 姜維

昨年8月9日、湖北省襄陽市政府と中国光彩事業日本促進会の共催による中日国交正常化40周年を祝う記念イベント「2012中日民間経済交流会」が北京の長富宮ホテルで開催された。日本の大手商社駐在員、日本大使館員ら約200人が出席し、40年の歴史を振り返り、来賓のあいさつからは9月の記念日を待ち望む熱い気持ちがほとばしり出ていた。

ところが、9月に入ると、石原慎太郎前東京都知事が長い間、棚上げになっていた釣魚島問題を挑発的に持ち出し、当時の野田佳彦内閣が中国政府と中日平和友好人士の反対を顧みず、いわゆる「国有化」を強行した。中国側は各種の記念イベントの中止を余儀なくされ、本来、中日友好の実り秋だったはずだが、多事多難の秋になってしまった。9月26日、私が代表を務める中国光彩事業日本促進会は、在日華人として初の厳正な声明を発表し、日本の政治家に対して、歴史を正視し、釣魚島は一般的な領土主権問題ではなく、歴史問題の延長だと認めるよう求めた。同時に、中日の政治家が歴史を尊重し、両国の先人指導者のように釣魚島問題を巧みに処理することを願った。

2010年、国貿促新年会で河野洋平会長(中央)、中田慶雄理事長(左)と並ぶ筆者(写真・筆者提供)

在日華僑として、私は日本で20年余を暮らし、その間、それぞれ異なる時期の中日関係を経験した。改革開放の中で、胡耀邦元中国共産党総書記の配慮によって、新中国初の私企業として中国光彩実業公司を創立した。2000年、日本で中国光彩事業日本促進会を結成し、在日華僑・華人企業、日本企業と協力して中国の貧困救済事業に貢献し、中国光彩事業は国連の承認を得て、協議資格をもつ非政府組織(NGO)となった。

竹下登、福田赳夫元首相らがわれわれの事業に関心を寄せ、特に中曽根康弘元首相は「光彩事業温故知新」と揮毫し、また私を特使として、江西省共青城へ派遣し、胡耀邦氏の墓参を依頼した。中曽根氏の代わりに、胡耀邦氏の陵墓の園林にサクラを植樹したことも忘れられない思い出だ。

もうひとつ忘れられないことがある。小泉純一郎内閣当時、全国人民代表大会(全人代)代表団が訪日し、中曽根氏が歓迎会に出席し即席のあいさつをした時のことだ。誰も思いもよらなかったのは、あいさつの冒頭、その年、同氏が靖国神社を参拝した後、同氏の友人から「良いことではない。友人の胡耀邦さんと中国人民に悪い影響を与える」と指摘されたことから切り出したことだ。同氏は慚愧に堪えない表情で「深く反省し、すぐに胡耀邦さんに手紙を書き、中国人民にお詫びしました」と語った。

また、団長の許嘉璐全人代常務委員会副委員長は「歴史と歳月を経て、中日友好の重い責任はわれわれの世代の肩にあり、任重くして道遠しだ」と語り、その言葉の重みは今もなお私の心の底に残っている。

先日、日本で影響力を持つ大手商社経営者の皆さんが私を訪ねて来られ、中日関係の現状について焦慮と無念を込めて、「いつ改善されるだろうか。損失を被るのは私たちが苦心して経営してきた企業だ」と、語っていた。日本と提携している中国企業経営者も同じ思いではないだろうか。昨年、釣魚島問題が起きて以来、中日貿易額は前年比3.19%減となり、日本は中国にとって5番目の貿易パートナーに転落、人的往来も激減し、中日関係は国交正常化以来のどん底に陥った。私たち在日華僑・華人の中の有識者も、さまざまな場で日本の政治家、友好人士と接触し、いわゆる「政冷経熱」の現状を打開しようとしている。安倍晋三内閣は「政経分離」の方針をとり、政治と経済を引き離し、島の問題を避けて経済協力を図り、実益を取ろうとしているようだが、この手法は非現実的であり、かつ実行不可能だろう。

数日前、日本国際貿易促進協会(国貿促)の河野洋平会長の招きで、長富宮ホテルで開かれた中日平和友好条約締結35周年の記念レセプションに出席した。一衣帯水の雰囲気に包まれた会場で、中国人民の古い友人の1人で昨年5月1日に亡くなった中田慶雄氏を思い出した。同氏は長い間、日中友好事業に携わり、国貿促副会長、理事長を務めた当時、中国の各省・直轄市と日本との経済協力を積極的に促進し、多大な貢献をした。また、小泉内閣時代に、中日関係が悪化した際にも、同氏は立場を旗幟鮮明にし、両国のメディアを通じて、小泉元首相の中日友好を損なう行為を真っ向から批判した。同氏の補佐で、桜内義雄、橋本龍太郎、河野各氏らの大物政治家が国貿促会長を務め、国貿促は日中友好と経済交流の分野で多大な役割を果たした。中国人民は同氏を最も真摯な友人だと見なし、中国政府は「中日友好使者」の称号を授与した。中日関係が再び谷底に落ち込んでいる現在、多くの同氏のような方々と一緒に努力して、政治家たちを促し、一日も早く歴史の原点に戻り、受け入れがたい現実に終止符を打ちたい。

胡輝邦氏の命日の4月15日、墓参のために、江西省共青城を訪れ、墓碑の遺影に頭を垂れ、中曽根氏から贈られたサクラの木の下を歩きながら、両国の2人の大物政治家が在任中に数千人に及ぶ青年の友好交流を実現した時の情景を思い浮かべ、この寄稿を思いついた。北京に帰る機上で、丸窓から青い空と白い雲を眺めているうちに、唐突に、毛沢東、鄧小平、胡耀邦各氏らと、日本の政治家や中田慶雄、木村一三各氏ら中日友好のために尽力し、亡くなった先人たちが焦慮に満ちたまなざしで私たちを見つめているように感じられた。まるで、「国交正常化から40年を経て、われわれの努力は受け継がれているだろうか」と、語りかけているように……。

鬱勃たる思いに駆られた私は、飛行中にここまで書き終えた。中日間を行き来する草の根市民の一人として、今日の中日関係を憂慮し、両国の平和を希求した今は亡き先人たちに対して、満腔の敬意を払い、われわれの世代の中日友好への確信と信念をお伝えしたい。

 

姜維(ジアン・ウェイ)

1950年、遼寧省大連市生まれ、遼寧省戯劇学校卒。日本中国光彩事業株式会社代表取締役社長、中国光彩事業日本促進会会長。

 

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