「中国人にときめこう!」
大友 由香
私が中国に初めて行ったのは、大学2年生の時、北京に語学研修に行った時のことだ。その時に中国の元気さや明るさに強く魅かれた。それから観光で上海に、友達に会いに広州に行ったことがある。
少ないながらもそれらの経験、また日本で出会った中国人の印象から、私の目に映る中国と言うものを表そうと思う。
まず印象強いのは、中国人は「吃饭了吗(ご飯食べた?)」と本当によく言うことだ。これが彼らの挨拶だとは聞いていたけれど、まさか会うたびに言われるとは思わなかった。
そして食べたと言えば、「よかった」といい、食べてないと言えば「じゃあ食べに行こう」という。なんて言い挨拶何だろう、と私はいつも思った。お腹をすかせているのと、一人でいるのが重なったら誰だってとても孤独な気持ちになる。この挨拶はそんな一人ぼっちの気分を瞬時に嬉しい気分にさせる言い挨拶だ。
けれど、ご飯に行こうと言われて、軽い気持ちでうなずくと大変なことになる。中国人は「たくさん」が大好きだ。ご飯ももちろんたくさん。それも食べきれないほどに本当にたくさん用意するのが好きだ。相手が喜べばいい、楽しい気分になるならいい、盛大にやろう、という彼らの気持ちのよさは誰かに教わらなくてもよく伝わってくる。友達をたくさん呼ぶのも好きだから、私が中国人とご飯の約束をするとなんだかいつも宴のようになった。もちろん、これは私がお客さんとして扱われたこともあるだろう。だが、それだけでなく中国人独特の「にぎやか好き」な性格の表れでもあると思う。
また、中国人は家族をとても大切にする人たちだと思う。北京で一番仲良くなった友達の夢は、「お金を貯めて、弟を大学に行かせてあげたい」ということだった。自分は行けなかったため、また、弟は勉強が大好きだから、それを応援してあげたいと言っていた。その子と同い歳の時、私は自分のほしいもの、やりたいことの事ばかりを考えていたのに、と驚いた。
彼等と話して驚いたことはもう一つある。中国の今の若者の親は子どもに暴力をふるわないことが一般的であることだ。中国人の友人たちは、全員子どもに暴力をふるうなんて信じられないと口をそろえて言っていた。日本は世界でもトップクラスに豊かでお金持ちの国であるにもかかわらず、子どもの虐待事件が毎日報道されている。中国人はたとえ貧しくても疲れていても家族をとても大切にする。中国人のように家族を何よりも大切に出来る心を見習うべきだ。家族のためなのか、自立心が強いのか、中国人は家を出る時期が早い。家を出て都会の真ん中で生活する中国人の若者と多く出会った。「みんなこんなもんだよ」と良く言われた。
なぜか私は、中国人の若者一人の存在が社会の中でひどくちっぽけに感じる時がある。彼らが孤独に打ちひしがれようが、涙を流そうが、思い通りに行かなくて喚こうが、誰も気にとめないくらいに彼らの存在はちっぽけな気がする。経済が著しく発展しているから? 若者の影響力が弱いから? 私はそうではないと思う。あまりに人が多くて一人一人の存在が埋もれているのだ。何もしないと埋もれてしまいそうな世界。だからこそ、中国人、特に若い中国人のエネルギーはとても大きい。精神は強い。勝気、攻めの姿勢、積極的、これらの言葉がよく合うと思う。だれもが夢を持っている。幸せを夢見ている。もちろんその幸せは、人それぞれの形があるが、私は彼らのそんな力強さがとても好きだ。
日本で出会った中国人の友達も、物怖じしないような性格の子ばかりだった。吸収力がすごかった。努力も惜しまない。勉強、仕事、相手との会話での相手への興味。全てに一生懸命。中国人は世界中のどこでも生きていける、と言っている人を知っているが、その理由はこの一生懸命さにあると思う。
けれども、同時に中国人は、世界のどこでも固まりやすくて、すぐにチャイナタウンをつくってしまう。家族や、家族同然の仲間たちを大切にする気持ちが強いからだろう。知らない世界で同じ母国の、同じような境遇の人がそばにいたらどれだけ心強いかは想像に難くない。
中国の人たちは一度受け入れた相手を本当に大切にする。一度、彼らの仲間に入れてもらえたら、本当に毎日が楽しくなる。それなら、もう少しだけお互いがオープンになったらみんなとっつきやすいのではないかと思う。世界も中国人たちも、だ。これからは相手がオープンになるのを待つだけでなく、世界中も彼らにオープンになることが必要だ。
中国人のパワフルで明るい性質を世界中が体験する日を早く見たい。中国の煩雑で騒がしい第一印象を見事に塗り替える、あの瞬間を体験すれば、多くの人が彼等の優しい空間に居心地良くなってしまうことだろう。
人民中国インターネット版 2015年1月