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出会い

 

門間 里奈

「私に、中国人の友だちが出来るんだ」と私の胸に響いた高揚感を、今でもはっきりと覚えています。

それは、私が県内で開催される全日本中国語スピーチコンテストにエントリーした事がきっかけとなりました。数日間に渡り、私は高校の中国人の担当の先生にスピーチの練習を指導して頂きました。課題となっているスピーチは、初級者向きのあまり長くはない文章でしたが、中国語独特の抑揚の使い方や、ピンインを正確に表現しなければ成らないので、とても難しい内容でした。私は何とか、全文を覚え、難関の会話文や細かい表現法を身に付けていました。

ある日の放課後の事です。先生は、私に一人の中国人の女子生徒を紹介して下さいました。これまで何にも聞いていなかった私は、想定外の出来事に驚き、戸惑っていた気持ちを記憶しています。そもそも私は、先生以外の中国人と話をした事がなく、初めて経験となりました。しかし、私の気持ちの動揺は、彼女と対面した時に払拭し、素晴しい出会いと喜びに変わっていました。

あの時、私の教室を訪ねて来た彼女は私と目を合わせるなり、二コリと微笑を浮かべ、「初めまして!」と、流暢な日本語で挨拶をされ、驚いてしまいました。私は、中国語で「二イハオ」と挨拶を考えていたので、思わず力が抜け笑顔で「よろしくお願いします」と、頭を下げ、中国語で自分の名前を言いました。

その後、先生が彼女に、私の為に中国語のスピーチの話し方を教えてほしいと、中国語で説明して下さいました。その他にも、私の解らない言葉でしたが、「仲良くしてね」という意味の様な会話だったと思います。彼女は、笑顔で対応していました。

出会った日は、お互いに忙しかったので、携帯電話のアドレスを交換して別れました。

私は、彼女が教室を跡にした後も、興奮が冷めやらぬ状態で、携帯電話の彼女のアドレスを眺め、「いつ、連絡を取ろうか」と、胸を踊らせていました。

早速、その日の夜に携帯電話のメールで、連絡を取り合いました。彼女には、申し訳けなかったのですが、私のメールは日本語の設定だけなので、迷惑を掛けているのではないかと心配していました。

お互いの自己紹介で、彼女は4年間、日本語を勉強しているとの事でした。そして、先月に日本に来たばかりで、私が初めての日本人の友だちだと話してくれました。私達は、その時から、ニックネームで呼び合う仲良しとなりました。

この日を境に、私達はいつも日本語や中国語を使って、スピーチの練習やコミュニケーションを取ってきています。

時々、解らない言葉があった時は、その場で聞き直して、曖昧な返答をしない様にしています。それは、言葉に秘められた思いの意味があるからです。必ず、お互いに伝わったから、会話を進める様にしています。現在でもそれは変わりません。きっと、解らない言葉を伝わった様に振る舞えば、お互いに気まずい関係になるのが解るからです。

これは、広い視野の話になりますが、日中の交渉にも言える事と思えます。言葉には、国々の取らえ方が違う事例が、多々あるのでお互いに補足説明を付けるなどの心遣いが必要だと、私も経験してよく解りました。

時折、報道メディアで騒がれている情報を今になって、よく考えると日本側の一方的な報道もあると気付きました。きっと中国側の目線を深く取材すべきではないかと思えてきています。こういった事が、早く改善されてお互いを認め合える様な関係を築いて行ける様にメディアが変わってほしいと願っています。

これまで半年間ではありますが、私は高校で中国語を学び、自分の視野や友達とのつき合い方が大きく変化しました。私にチャンスを下さった先生や、心良く友だちになってくれた彼女に、とても感謝しています。これからも沢山の中国語を学び、「友好の絆」を深めて行きたいと考えています。

 

人民中国インターネット版 2015年1月

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