わたしの目に映る中国
伊藤 洋平
私が中国へ留学に行ったのは、「島」をめぐる問題が起きた2012年9月11日だった。中国語がほとんどわからなかった私は、中国の地下鉄で流れるテレビで鳩山首相の映像が出ているのを見て、「普段から中国のテレビでは日本のことがよく放送されているんだな」と全く見当はずれな感想を抱いて見ていた。留学中、私は中国語の勉強に集中しようと日本の情報は一切得ようとしなかった。入ってくる情報は学校の食堂にあるテレビのニュースからだけで、中国人と同じ質の情報が入っていたと思う。そのような情報からでも「島」をめぐる問題は尋常ではないということは感じられ、日本人とばれることに不安を感じ、日本語を話すことはもちろん、日本語なまりにならざるを得ない中国語を話すのもためらったものだった。幸か不幸か私の大学には日本人が一人しかおらず、普段の生活で全く日本語を話すことはなかったが、いろいろな手続きでパスポートを見せたり、外出したりする機会が多かったので、そのたびにびくびくしていたのも事実だった。
中国語が話せるようになるにつれて、中国人と接する機会が増えていった。そこで感じたのは、日本人への抵抗感がないということだ。むしろ、そのような時期だったからこそ、日本人への関心が高かったと言えるかもしれない。そういった中でできた中国人の友だちから言われた一言が非常に印象に残っている。「君と会うまでは日本に対して全く興味がなかった。でも、君に会ってから日本に関心を持つようになったし、日本語を勉強してみたいと思ったよ」と。彼は今、留学に向けて勉強に励んでいる。
もう一つ、留学中のエピソードを紹介したい。中国では公園で朝夕にいろいろな活動が行われている。私はもともと太極拳に興味があったので、北京に着いて3日後には公園に行き、太極拳をやっている人たちにまじって見よう見まねで参加していた。公園で運動している人の多くは年配の方々で、日本に対して特別な思いを持っているのではないかと思ったが、逆だった。「テレビではあのような報道がされているが、国の問題と個人の問題は別。中日友好のために太極拳を教えるよ」と、いつもの練習が終わった後に先生が教えてくれ、私の参加をきっかけとした太極拳を学ぶグループができたのだった。
1年間という期間の決まった留学で、帰国の際には非常に名残惜しかった。あまりに名残惜しかったので、帰国後数カ月してから突然、留学先に行ってみたことがある。突然の私の出現に公園の人たちも、大学の友人、先生たちも驚いてはいたものの、そこが中国の人たちのすごいところで、太極拳では練習終了後のレッスンが実施され、大学では歓迎会を開いてくれた。中国の人たちは一度友人となった人に対して非常に温かく接してくれ、このような突然のことにも臨機応変に対応してくれる。これは、私が留学を通して体感した中国人の特徴だと思う。それがわかっているので、私自身も急に訪問しても大丈夫だろうという安心感がある。一方で、突然のことなので、予定があったらそれはそれで仕方がないと割り切れるため、変に気を遣う必要がない気軽さもある。こういった付き合い方ができるのは中国ならではだ。
中国人の臨機応変さは日本に帰国してから特に感じた。日本に来る中国人のボランティアガイドをやったことがあるが、工程表通りに進むことはまずない。当日会ってから、工程表はなかったかのように、こことここに行きたいと言われたり、同じような場所だとわかると、当初の予定はなくして、違うところに行きたいという要望が出てきたりする。お寺は1つ見れば十分で、多少異なるからと言って、2つも3つも見る必要はないらしい。留学中に中国人から頻繁に聞いたのが、中国は大きく、人が多いということだった。地域によって特色が大きく異なる中国にしてみれば、ちょっとした違いに対して目を向ける習慣はあまりないのだと思う。これはどちらが良い悪いというわけではなく、まさに文化の違いの面白さで、お互いが接するときに理解しておくべきポイントの一つだと思う。
中国の人口は日本の10倍で、面積は25倍。これを数字としては理解できる。しかし、実際どの程度なのかというのは実感してみないとわからない。一つ例を挙げてみると、日本ではゴールデンウィークや正月に交通機関が混雑することはよく報道される。これは見方を変えると、交通機関以外の混雑はあまり目立たないということだ。それが中国では、交通機関以外にも観光名所などが人で埋め尽くされた状態が報道される。日本では観光名所に人がたくさんいる報道というのは、賑わいがあって良いという意味合いがあると思う。しかし、中国での報道は賑わいを通り越して、これだけ混んでいるから行かない方が良いと示唆しているかのようだ。
帰国してからはほかの日本人の目に映る中国を通して、改めて自分の中での中国を認識することが多い。帰国後すぐに気づいたのは空気の問題だ。中国でも日本でもPM2.5の問題が本格的に報道されたのは、留学中の冬のことで、思い返してみるとそれよりも前から曇っていることはよくあった。それを知らない私は「朝もや」のかかった良い雰囲気の中で太極拳ができるな、などと感じていたものだった。実際に報道でそのことを知ってしまうと、マスクつけるようにしたが、実際にマスクをしている中国人はほとんど無く、そのことを帰国後に日本人に伝えると、報道との違いに驚いていたようだった。
留学を通して私の目に映る中国は大きく変化を遂げた。そして、帰国後もそれは変化し続けている。ただ、私の見てきたものも大きい中国の中でのほんの一部に過ぎない。日本も場所や人によってさまざまであるように、中国はそれ以上に多種多様なものが混在している。そのことを認識することが中国を理解する第一歩になるのではないかと思う。
人民中国インターネット版 2015年1月