わたしの目に映る中国
石森 瑞希
私は中国という国に対し、惹きつけられる部分があると感じる。それは初めて実感したのは、私が年少の頃にある作品との衝撃的な出会いがあったからだ。私が当時通っていた小学校の南校舎2階の第1図書室の隣に、普段は鍵のかけられた入ることのできない秘密めいた教室があった。ドアには日中両国の国旗が交差し掲げられた装飾があり、ドアのガラスの向こうはいつもカーテンで閉じ込められ何も見えない。その秘密めいた教室というのが、中国文化交流室だった。
私は図書室前の廊下を通る際、だいたいぼんやりとその部屋のドア飾りや黒のカーテンを眺めては、物思いに耽っていた覚えがある。なぜなら、その場所は謎が多い未知の空間に思えたからだ。私はその後、その場所へ踏み入ることになる。今思えば後にも先にもたった一度の入室であった。
それは小学3年生の頃のことで、その年はちょうど中国からわが校へ青少年使節団が来た年でもあった。中国の生徒や留学生との交流会が催された。後日、担任教師はクラス全員を率いて、秘密の部屋である中国文化交流室へ連れて行ってくれたのだ。何かと気にかかり、入りたかったその部屋についに入ることが叶ったと当時の私はわくわくした気持ちでいっぱいになった。
母校の小学校ではそれまでにも何度か中国との交流があったようで、過去の交流の軌跡がそこにはあり、そこで当時私と同じくらいの年頃の中国の子達がかいたという書や水墨画の作品が展示を見たのだ。それらの作品は8歳ほどの児童がかいたとは思えない作品ばかりであった。私は小学1年の7月から書道を母から習っていたが、私にはこのような作品は到底書けない、適わないと思わされた。中国の小学児童の文化レベルはこれほどまでにも高いのかと衝撃を受けた。作品の第一印象は、大人びた雰囲気と垢抜けた線質だ。しかし、言葉にはし難いもっと凄みのあるものであった。内に秘めた迫力にも感服した。さすが本場の中国はレベルが違うとただただ感心した次第であった。そして、中国という国に対し、文化という力を持った素晴らしい国だと憧れと敬服の念を抱いた。
できることなら、あれらの作品をまた見たいと願う。大学2年になった今の私が見たならどう感じるであろうかなどと考えることもある。だが、それはもう叶わないのだ。母校のホームページを開き、教室配置図を調べてみたところ、かつて中国文化交流室はイングリッシュルームと名前を変えていた。とても残念なことだ。中国という存在が遠くなってしまったように感じた。記憶はどんどん薄れていき、どのような作品であったのか、あの出会いから10年程経った現在でははっきり思い出せなくはなったが、あの時抱いた衝撃と感動は今でも書の原動力になっている。書の方向性を見失ったり、スランプに陥った時などには、その時に感じた気持ちを思い出す様にしている。
私は小学3年生の時の中国の児童の作品との出会いがのきっかけの一つとなり、今では書道を本格的に学べる大学へと進学し、これからも中国への憧れや敬愛の胸に書道と新たに始めた中国語の勉学に日々精進していくつもりだ。私は大学1年の9月より、留学生を対象に1対1で日本語を教えるという日本語教師のボランティアを始めた。私の担当は同い年の中国人女性の留学生である。その留学生を初期から担当しており、伝えるということの難しさと喜びを純粋に感じた経験となった。それに交流する中で、中国の良さを感じつつ、日本の良さを再認識することもできた。その留学生とは互いに苦難を乗り越えてきたパートナーであり、普段は先生でもあり友人である。このボランティアからたくさんの事を学ばせてもらうことができた。
私は、母校である某公立小学校の中国文化交流室がイングリッシュルームに変わっていたことをとても悲しく思う。英語も大切だが、日本は常に中国の影響力下にあり、日本と中国は切っても切り離せない関係であり重視しなければならないと考える。だからこそ、私はこれからも日中の交流や、これからもやって来るであろうさまざまな出会いを大切にし、生きていきてゆきたい。
人民中国インターネット版 2015年1月