中国との20年間の交流を振り返って
中村 佑
「Panda杯全日本青年作文コンクール」の募集要項の「【応募資格】16歳~35歳の日本人」という文言が目にとまり、思わず筆を握りました。その文言を見ていて二つのことに気づいたからです。一つは、16歳から35歳までという応募資格の年齢範囲と、16歳の時に初めて中国を訪ねてから35歳になった今日まで続く私と中国との交流期間とが一致していたことです。私の中国との交流は20年目を迎えました。もう一つは、「『青年』作文コンクール」の応募年齢の上限が35歳であり、現在35歳の私は間もなく青年期を終えることです。中国交流20周年と青年期の終わりという二つの節目を迎えるにあたり、私と中国とのこれまでの交流及び今の日中関係に対する思いを文字に残したいと考えました。
前述の通り私は16歳の時に初めて中国を訪れました。当時私の住まいのあった武蔵野市は、市内在住の高校生を海外に派遣し、派遣先の人達と交流を行う事業「青年の翼親善使節団」を定期的に実施しており、私はその使節団に参加して中国を訪れました。
対岸の見えない程広い上海付近の長江、今にも動き出しそうな迫力の西安の兵馬俑、そして果てのない北京の万里の長城等、多感な時期の私はいずれの見学先にも圧倒され、興奮して眠れない日が続きました。
その中でも特に深い印象を残した出来事は、北京でのホームステイでした。私は、日本語を学ぶ高校生のいる中国人の家庭で4日間を過ごしました。
ホームステイ初日は、自身の生活との相違点ばかりが目に付きました。例えば、言語の違い、トイレや浴室の仕様又は使い方の違い等です。こうした違いを、私は不便だと消極的に捉えていました。
二日目になると、自身の生活との共通点も見えるようになりました。家族団らんの温かい雰囲気や、高校生の持つ思春期の悩み等は日本も中国も同じでした。共通点の発見をきっかけに私はホームステイ先の家族に対して親しみを感じるようになりました。同時に、相違点を消極的に捉えてしまう原因にも気づきました。即ち、日本における自身の生活が「常識」であり「当たり前」であるという思い込みがあったのです。郷に入っては郷に従う。ホームステイの残りの時間を、私は中国人になったつもりで生活してみることにしました。
私は、ホームステイの日々を、北京観光や卓球、中国将棋等して過ごしました。その間ホームステイ先の高校生とは、家族のこと、学校のこと、友人のこと、将来のこと等を延々と語り合い、いつの間にか私達はすっかり親しくなっていました。言語や文化、習慣、民族等は違っても、友情は育むことができるものです。そのことに気づいた時の喜びを今でも忘れることができません。このホームステイの経験こそが20年間の中国との交流の原動力になっています。
時は流れ、2012年9月から1年間、私は中国政府の公費留学生として、湖北省武漢市の武漢大学法学院に留学しました。前述の初回の訪中後も中国の旅や中国人との交流を続けた私は、いつしか中国で生活してみたいと思うようになりました。そして縁があって、中国で留学生活を送る機会を得たのです。
私が留学生活を始めた2012年9月、「島」をめぐる問題が起きた等に伴い日中関係は政治を中心に非常に緊張していました。安全への配慮から留学先の大学は、日本人留学生に対し、外出や中国人との接触を極力控えるように求めました。また、いくつかの商店では日本人の入店を禁止するとした張り紙を出していました。中国人との交流を目的に留学したにもかかわらず、その思いと全く異なる現実を目の当たりにした私は、胸が痛むという言葉の意味を初めて理解したように感じました。
一方で、私達日本人留学生の状況を心配してくださる中国人もいました。むしろ、私と接触のあった中国人の殆どが私達日本人留学生の生活を心配してくださいました。特に、放課後に毎日のように通った大学の近くのミルクティー店の店主家族は、毎日私の話を親身になって聞いてくださり、悩みがある時は励まし、困ったことがある時は助けてくださいました。その店主家族は、私の武漢の家族とも言うべき存在になりました。
日本への帰国が間近に迫った日に、その店主家族を始め商店街で頻繁に顔を合わせていた人達が送別会を開いてくださったことは、一生忘れないことでしょう。留学を通じて、日中関係が政治を中心に冷え込んでいようと、中国人と日本人は信頼関係を築くことができるのだと実感し、その実感と同時に胸の痛みは消えました。
今回紹介したホームステイや留学等を通じて、私にとって中国は多くの友人の住む親しい隣国となりました。
一方で、毎年実施される内閣府の「外交に関する世論調査」によると、中国に親しみを感じないという回答が近年8割を超える等、日中関係は政治のみならず大衆のレベルにおいても良いとは言えません。この調査結果は両国の交流の不足を示していると私は考えます。
近年、報道やインターネットを通じて、相手国の情報が多く伝わるようになりました。それにもかかわらず、相手国の人と知り合う機会は依然として限られています。そのため、相手国の人の考え方を知ることもなく、異質なものとして「親しみを感じない」のでしょう。しかし、私がホームステイで経験した通り、人は相違点があっても友情を育むことができます。
こうした状況を改善するため、両国は対面型の交流を増やすべきです。私が留学で経験した通り、国家間の政治関係がどうであれ、私人間で信頼関係を構築することはできます。そして私人間の信頼関係の広がりこそ日中の友好関係の基礎になると私は考えます。
次の20年も私は中国との交流を続けていきます。今後は私自身だけの交流に加えて、中国人と日本人との交流の輪が周囲にも広がるよう活動していきます。
人民中国インターネット版 2015年1月