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書で結ぶ日本と中国

 

井ノ下 千夏

言葉で表現できないとは、まさにこういうことなのだろう。これは、大阪市立美術館で王羲之の蘭亭序を目睹した際の率直な感想である。初めて蘭亭を目にすることができたという感動とともに、その現物が持つオーラに私は圧倒され、強烈に惹きつけられたのである。洗練された線質、絶妙な表現技法が随所に注ぎ込まれており、蘭亭が天下の劇跡とされる理由、また書聖と尊崇された王羲之が空海から後世の私たちまでも魅了してやまない理由がわかったような気がした。

中国には、王羲之をはじめ数多くの名跡が存在する。それは中国にとどまらず国や時代を超え、現在の日本にも絶大な影響を与えていることは言を俟たない。日中の先人たちによって脈々と伝えられた文化の営みがあるからこそ、私が今ここで書を学ぶことができるのだ。書という最高の文化を齎してくれた中国に対して、私は心から感謝している。

私が初めて筆を持ったのは小学校1年生の時である。習字教室に通いはじめ、それが週に一度の大きな楽しみとなった。練習を重ねれば重ねるほど、目に見えて上達していくのがわかり、書の魅力にどんどんと引き込まれていった。高校生になると、書の学びに新たに「臨書」が加えられた。手本を見て書くことには変わりないが、「古典」を手本とするのである。その時真っ先に薦められたのが、王羲之の蘭亭序であった。しかし、当時の私は、「日本には空海や小野道風など優れた書人や書跡があるのに、どうして中国のものを学ばなければならないのだろうか」と不思議に思ったのである。そこで、王羲之や空海について詳しく調べてみたところ、随一の能書家であった空海も、当時の日中の書道文化の中で王羲之の書を深く学んでおり、そのような王書を基礎として自らの書風を築き上げていったことがわかった。このことは私にとって非常に大きな衝撃ではあったが、それと同時に、中国に対する認識が現在とは著しく異なっていることに思い至ったのである。

現在の日本において、「中国」と聞いて私たちは何を想像し、またどのようなイメージを持っているだろうか。新聞やテレビでは、商品の偽造や転売目的の買い占めなど、中国に関する否定的な報道が少なくない。「これだから中国は…」と、あるニュースを見ながら友人が呟いた。彼女に深い意図はなく、無意識に発せられた一言だろう。マスメディアが盛んに報じる事象は、確かに現代中国の「現実」の一部であることは否定できない。しかし、中国が抱えている問題や日中間に存する政治的問題ばかりが取り上げられている気がするのは、私だけであろうか。このような報道で知られる中国は、本当の中国のごく一部を切り取ったに過ぎない。悠久の歴史と豊かな文化を築き上げてきた中国に対して、如上のマスメディアによる情報だけで偏見を持ってしまうことを大いに危惧している。

私は現在、大学で書道学科に所属し、王羲之をはじめとする様々な古典の臨書に励んでいる。その度に、大阪で受けたあの感動をもう一度味わってみたい、また中国について更に造詣を深めていきたいという思いを強くしている。中国の書道文化が日本に伝えられたことによって、日本の書が生成・発展し、ひいては私が今、私自身の書を深め、学び続けることができている。書道文化に携わった人々に対して、率直に「ありがとう」という感謝の意を伝えたい。

日中両国間に横たわる種々の問題は、その解決にはまだまだ時間を要するだろう。それでも私は、中国に対する偏見を少しでも減らしたいと考えている。そのきっかけとして、圧倒的なオーラを放ち、今現在でも人々を魅了してやまない書の名品の存在があろう。幾世代を超え、現代まで受け継がれてきた優品の数々。これらを踏まえ、私は書を通じて中国の魅力を是非とも発信していきたいのである。

 

人民中国インターネット版2016年9月

 

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