武道の架け橋
新斗米創
2009年3月18日、私は初めて情熱の大陸へ足を踏み入れた。飛行機の上で私はかつて無い興奮に包まれていた。地図上でしか外国というものを知らなかった私は機上から広大な大地が見えた瞬間、机上の世界を打破した快感を得た。上海虹橋空港を出て、パスに乗るとほどなくして窓越しからあふれんばかりの人、ビル、車そして漢字が目に飛び込んできた。人々は血気盛んな様子で街へ繰り出し、その上を所狭しとビルが空を覆い、それを威圧するかのような漢字だらけの広告。当時10歳の私にとって上海の町並みはあまりにも衝撃が大きすぎた。一歩バスから降りると上海の熱気で身体が溶けてしまいそうで身震いがした。バスは私の感情を置き去りにして目的地蘇州へと向かった。
私が中国を訪問した目的は蘇州で開催される中日武道交流大会に参加するためであった。 私は小学1年生の時から空手を習っている。私が小学四年生の時、師匠は私を含めた7名の門下生の大会出場を決意し、その日からより厳しい修行が始まった。私は団体の部で型を演武することになっていた。団体なので他の人と呼吸を合わせなければならないが、自分の目の前に敵がいると仮定して演武を進めるため他の人を無視して己の技に集中しなければならない。従って団体とは言え孤独なのである。師匠の檄が飛ぶ中、無我夢中で鍛錬した。時折師匠は自分と中国の関係を教えてくださった。かつて道場の近くに農業学校があり、そこに日中友好交流事業の一環として中国から多くの留学生が来日し農業を学んだ。その際道場にも多数の中国人留学生が訪れ、そこで師匠の下で武道を極めた。その中には中日武道交流大会の主催団体の一員として貢献している元留学生もいるという。私はその話を聞いて武道が人の心をつなぐのかと感動した。師匠の型は変幻自在で隙が無い。心•技•体が完全に一致している。その美しさは国籍関係なく見る者に感銘を与えるのだろう。私は師匠のように中国の人々が感動してもらえるような力強い型ができるよう一生懸命練習に励んだ。
そして迎えた本番当日。私たちを待ち受けていたのは華麗で、豪快で見る者を圧倒させる中国武道だった。空を舞い、ヌンチャクに命を吹き込み、中国雑技団のような人間離れした技の数々。ついに出番が来た。飲み込まれそうになりながらも自分の立ち位置に立つ。見渡すと中国の観衆、選手が見える。視線が熱い。しかし精神統一。気付けば私は鷹になっていた。その型は最終盤大きな鷹のような動きをみせる。演武している間の記憶がほとんど無い。ただ最終盤中国の広大な地を駆けている感触があった。
終了後観客の皆さんの喝采の波で現実に戻った。舞台裏に引き返すと観客の皆さん、そして元留学生の方々が素晴らしかった、と讃えて下さった。結果は団体の部銀メダル。しかしそれ以上に中国の方々の暖かさが何よりも心にしみた。中国の方々に感動してもらえたか分からないが、遠い日本から来た少年達を家族のように歓迎してくれたのが嬉しかった。その後いくつかパーティーがあったがそこでも熱烈な歓迎を受けた。「热烈欢迎」の文字は今でも脳裏に焼き付いている。漢字は勿論歓迎ぶりに激しさを覚えたが、それは中国では普通なのだ。皆家族。人と人との関係に情熱を費やしてでも大切にする精神、そして鹰揚な態度に心打たれた。あれだけ圧倒されていた中国の町並みが飛行機の上では愛おしく感じられた。
日中間は長年政治の上で緊迫感を呈しており、テレビや新聞等で多く取り上げられている。しかしどうかメディアに左右されないでもらいたい。中国の人々は豪放な所もあるが根は非常に優しい。私は武道を通じてそれを認識したが、グローパルな時代であるからこそそれを認識できるチャンスはたくさんある。私は修練を積み重ね黒帯を頂いた。もう一度中国に「帰って」武道を通じて日中友好を強固にする、それが私の願いである。