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見えなかった透明の壁

 

                                                      田中歩佳

 「外国人の親戚とか、おらんかな~」

 高校二年生。外国に憧れを持っていた私は、家族と祖父母との食事中に呟いた。

 「俺は、満州出身だぞ~」

 祖父が言った。父は、「純血の日本人だけどな。」と笑っていた。しかし、私には小さな衝撃であった。満州といえば、歴史の授業で聞いたことがあった。昔の中国の一部地域を指す言葉だ。それ以上に日中間の歴史学習において重要な内容を秘めている地域だ。だが、当時の私の心に「満州」という言葉は、日中の歴史関係を通り越し、全く違う何かが響いていた。メディアによる「映像と音で形成された中国」のイメージが、「身近に、感覚的に感じる中国」に変化していくような気がした。

 それからの私は、SNSを通して知ったC-POPに夢中になったり、中国から好きな芸能人の自伝本を輸入したりした。大学に入学し、自伝本を自力で読むために、中国語を学んだ。ただそれだけの、好きなことに夢中になっている学生だった。

 ある日、中国人の先生が「中国百科検定を受けてみませんか?」と声をかけてくださった。その検定は、中国の地理・政治・経済・歴史・文化など様々な事柄を扱う試験である。私は、「まだうちの大学から合格者が出ていません。」という言葉をきっかけに、「一番乗りで合格したらかっこいいな~」なんてことを考えながら受験を決めた。

 中国百科検定は、試験前に自由参加の検定対策講座が行われる。慶応大学の教授が、講座を開かれると聞いた私は、「滅多に受けられないから」、と講座を受けに行った。講座会場につくと、学生は私一人だった。そして、中年のサラリーマンの方が一人、それ以外は全員お年寄りの方々だった。対策講座が終わると、お年寄りの方々が集まり、日本へ強制連行された中国人の慰霊碑の話をしておられた。「まだ、知られていない慰霊碑がある。これを何とかして伝えなければ。」という話をしていた。私は、その話を耳にしながら、自分は何も知らないということを痛感した。そして、自分のような若者が多くいることを感じていた。その時、一人のおばあさんが、私に話しかけてくださった。「私はね、南京で81歳を迎えたのよ。」と幸せそうに言っていた。彼女は、南京の大学に留学していたそうだ。私は、驚きと同時に、疑問が沸いた。なぜ、そこまで中国に関心を持てるのか、一体何がそうさせているのか。

 それから数日後、おばあさんから一冊の本が届いた。そこには、幼少期の満州での生活、帰国、就職、結婚、留学など彼女の人生の記録が記されていた。私は、その本を読みながら、私たち若い世代と、彼女たちの世代では、中国という国との距離感に大きな差があると感じた。戦争などで、国と国、人と人が無意識に交じりあっていた、という時代背景もあるがそれだけではない。

 グローバル化が進む現代は、情報入手の手軽さゆえ、様々な国と距離が近づいたかのように錯覚してしまう。しかし、実際はそうではない。私が聞いた慰霊碑の話は、知らなければメディアでは見つからない。おばあさんの本がなければ、満州での日本人の生活を知ることはなかったし、知ろうともしなかったであろう。意識やきっかけがなければ、本当の真実は何も見えてこないのだ。それはつまり、「透明(メディア)の壁」がたっているにすぎない。向こうが見えているかのように見えて、手を伸ばせば壁があって触れることが出来なくなっている。意識しなければ、壁の存在にすら気付かない。

 私は、この経験から、中国への留学を決めた。「透明の壁」を超えるため、空を飛んで触れに行こうと思った。そのとき私が何に触れ、何を感じるかは、まだわからない。しかし、きっと日本にいる今とは違う、何かを感じられると確信している。

 そして、おばあさん達が私に教えてくださったように、私も誰かに「透明な壁」の存在を教えていきたい。

 「あなたには、透明の壁が見えていますか?」

 
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