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三井沙羅

「戦争は上(国家の責任者)の人間たちがやっとこと。置き去りにされた日本人は我々中国人と同じ被害者だ。」

これは岩波ジュニア新書の『「中国残留婦人」を知っていますか』という本に出てくる中国人の言葉だ。満州の開拓団を離れて、日本人難民収容所やソ連軍の兵舎にいれられた主人公である日本人女性は、劣悪な環境に耐えられず脱走し、行き着いた集落の農家で中国人男性と結婚しました。夫婦共々にこの惨禍を乗りこえ生きていきたいと望んでいました。

この言葉は主人公の日本人女性を助けた中国男性が発した言葉です。

当時は国同士は敵対していましたが、一部の中国市民は同じ立場の人間として日本人を見ていたという意味を表していると思います。

日本人女性は、この状況が落ち着けばそう遠くない時期に日本に帰国できるだろうと信じていましたが、戦後、中国では激しい内戦が勃発するなど混乱が続きました。さらには東西冷戦や日本と中国の国交断絶など外交面の影響を受け、帰国の夢はあえなく消えました。この女性も含め多くの残留婦人たちが日本に帰国できるようになったのは1972年、日中の国交が回復してからのことでした。戦後から実に30年近くもの年月が経っていました。

厚生労働省の調査によると、戦後、中国に残留を余儀なくされた女性たちは、4000名以上にのぼるとされ現在も200名ほどの女性たちが中国で暮らしています。私はこの本を読んで、国同士はにらみあっていても、民間人は友好な関係を創り出すことができると思いました。現代という時代に生きる私も、将来、中国の人と友好な関係を築きあげたいと思いました。

私は今、長崎県の離島にある壱岐高校の東アジア歴史・中国語コースで中国語を学んでいます。中国語の発音は難しいですが、会話力があがったことを実感できたときは、本当に嬉しく、感動します。そう思えるのも、本コースには上海から中国人の先生が来てくださっているからです。中国人の先生との対話や交流ができて、毎日貴重な体験ができています。特にスピーチコンテスト前の指導では、ときには厳しくときには優しく、丁寧に分かりやすく教えてくださいます。そのおかげで、正しいピンインや文の読み方、表現力を身につけることができました。また、毎年夏休みの期間に上海外国語大学で行われる上海語学研修に参加します。中国語について中国人講師の先生方からみっちり講義していただくことができます。去年は講義以外の時間で大学の先生と、先生が好きなアニメや日本の歌についても話しました。先生の指導、また対話を通して大きく成長することができました。今年も上海研修に参加します。去年は習い始めたばかりで先輩についていくだけでやっとでした。しかし、今年は先生以外にも多くの中国の方と中国語で交流し、友好な関係を築いていきたいです。

高校3年間で中国語のコミュニケーション力を向上させ、中国の方と中国語で交流できるようになることが、国際平和に少しでも貢献できる第1歩になると考えています。

私には将来国際連合教育科学文化機関に勤め、読み書きのできない人をなくす識字運動や、学校を整備するための援助に携さわりたいという目標があります。

中国でたくましく生き抜いた日本人女性のエピソードからうかがえる日本人も中国人も「同じ人間である」という想いを基盤に「語学」を中心に国際貢献できる人材へと成長していく決意です。特に中国の漢字、簡体字で文章を書けるように教えたいです。

中国を少しでも好きになってほしいと願っています。

 

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