私だけの、私にとっての中国
大西栞奈
中国。太古から現在に至るまで日本の発展に欠かすことのできない国だ。今、私のすぐ身の周りにも中国で作られたもの、中国から伝来してきたもので溢れている。
数か月前、私に、このPanda杯青年作文コンクールに応募しないかと声をかけてくれたのも学校の中国人の先生だった。その先生はとても親しみやすく、ほとんど日本のことしか知らない私にとって、先生から聞く中国の生活や考え方、日本との違いについての話は、驚きと新鮮さが詰まっていてとても興味深い。ある時、先生が中国でよく食べられるというケシの実を使ったお菓子をくれた。日本のお菓子とはパッケージのデザインも違う。少し緊張しながら一口だけかじる。初めての匂い、味、食感。見た目から予想していたより風味がとても豊かだった。そして口に入れた瞬間、私はそれまで話にしか聞いていなかった中国や中国の人々を、彼らの日常を、初めて身近に感じることができた。「味はどうですか?」と少し心配そうな先生に、「日本にはない変わった味で驚きましたが、美味しいですね!」と答えると、先生は嬉しそうに笑った。小さな日本海を挟んだ先の、本当にすぐ近くにある国の生活なのに、私は何も知らなかった。しかし、自分の体でほんの少し中国を感じられたことはとても嬉しく、その日は一日中ワクワクが止まらなかったことを覚えている。
その後、私にまた中国と触れ合う機会が訪れた。新しく始めたアルバイト先に中国から来た若い男性がいて、一緒に働くようになったのだ。その男性は本当にいつも明るく、笑顔が絶えなかった。私のアルバイト先には日本人だけでなく、フィリピン人やベトナム人もたくさんいる。様々な国と文化の中で育ってきた人々が集まる中で、「おはよございます!」といつも一番元気に挨拶し、ユーモア溢れる彼は、職場のムードメーカーでみんなに愛されていた。彼と関わる中で、一つ驚いたエピソードがある。それは仕事が終わった後、彼が世話をしている畑を一緒に見に行ったときのことだ。彼が突然、育てていたニラをちぎってその場で食べ始めたのだ。日本でニラをあまり生で食べないので、私はびっくりしたが、「おいしいよ!」とニコニコしながら平然と食べる姿に、自然に笑いがこみ上げた。そのままその場の全員で大笑いしたことは、今思い返してもとても幸せな気持ちになる。育った国が違えば、たとえ近国でも文化や風習、価値観は違う。ささやかだが、そのことを身をもって体験した出来事だった。しかし、その違いを驚きながらも受け入れるか、拒絶するかでお互いの関係性は大きく変わってくるのだろう。きっとそれは『個人と個人』の域を超えて、『国と国』の関係性にもつながるはずだ。
他にも彼に教えられたことがある。彼には同じ職場にベトナム人の恋人がいるのだが、二人が共通してわかる言葉は日本語しかない。知っている日本語では気持ちを表せないときはどうするのかと聞くと、「顔みたら相手どんな気持ちかわかるよ」と笑った。私はその返事を聞き、相手を知ろうという気持ちには言葉をも飛び越えるエネルギーがあるのだ、と強く実感した。中国と日本でも話す言葉は違う。しかし、言葉がわからないからその言葉を話す人たちについて何もわからない、ということは決してない。二人のように、知ろうとする気持ちが原動力となり、心を繋げることができるはずだと思う。
中国と日本。私は日本人で、日本からみた中国しか知らない。中国からみて日本はどう映るのか。私が中国と向き合うには中国について知っていることがあまりに少ない。でも決して、日本の一部のメディアや大人がいかにも正論かのようにいう中国批判には振り回されない。自分がこれから先、もっと実際に見て感じる中国が、私だけの、私にとっての中国だ。実際に触れる、このことが一番大切だと、私はいつも中国の方々と関わる中で学ぶ。だから私はもっと中国に触れてみたい。