夕暮れとあなた
松永萌
1年と少し前の春、わたしは大学生特有の長期休暇を利用してスリランカでボランティア活動をしていた。そのボランティアには世界各国から様々な人が参加しており、定期的に母団体による集会が現地で開かれては、ボランティア参加者同士、皆和気あいあいと親睦を深めていた。
わたしが参加した集会は一度のみだったが、その時でさえわたしは持ち前の内向性を発揮し、グローバルに笑いが溢れる輪のなかで、なんとなく居心地悪げに微笑んでいた。集会が名目上解散になってから、わたし達はスリランカの美しい海を見ようと、すぐ近くにあるビーチに行くことになった。
ビーチに着いてもどことなく馴染めないわたしの手を引いて、ちょっと海辺を歩こうと言ったのが彼女だった。彼女は大学4年生で、就職前最後の休暇にスリランカにやってきた上海に住む中国人だった。彼女はアイリーンと名乗ってから「中国人は自分で英語名を決められるの」と少し得意げに言った。わたし達は夕暮れのビーチを歩きながら様々なことを話した。中国のウェイボというSNSは連日人気俳優のニュースで埋め尽くされていること、大学の授業、国の話から自分たちの話まで、実に様々なことだ。彼女は溌剌としていて明るくもありながら他人を気遣える聡明さも持ち合わせていて、話しているだけでその実直な人となりが伝わってくるような、とても魅力的な女性だった。「日本にいつか行きたい」と彼女が言って、わたしも「中国に行きたい」と返した。驚くほどすんなりとその言葉は口をついで出てきた。熟れ切ったオレンジのような夕日と、割れたグラスの破片が散らばるように煌めく海がわたし達を照らしていた。
別れ際に彼女はわたしの名は漢字でどう書くのか、と尋ねた。わたしが「萌」という字を見せると、宝物でも見つけたように「その字は中国語で予感とか、希望を意味するのよ」と微笑んで言った。「あなたにぴったりね」
わたしは彼女のその言葉に返事ができなかった。咄嗟に英語が出なかったというわけではない。たとえその時交わされた言語が日本語であっても、わたしは胸を突くようなあの感慨を、言葉にはできなかったはずだ。連絡先は聞かなかった。本名さえ聞き損ねて、世界の裏にいる人とさえ繋がれるこのご時世に、再会のための糸一つ紡がずにわたし達は別れた。あの時伝え損ねた言葉は、未だ見つかっていない。
日本に生きる限り、中国という国は切っても切り離せる存在ではない。二国の間に横たわる歴史の軋轢は厳然として鎮座し、あらゆる面に関する中国のニュースは日々溢れている。満州、蒋介石と毛沢東、GDPランキング第2位、観光地におけるマナー、etc…。それでも中国という国の名を聞いてわたしが思い出すのは、いつだって誰かが書いた活字の情報やテレビ番組の映像や無機質なグラフや他人の口コミ、そういったものではなく、あの日異国の地でわたしに向けられた、眩い夕日の中の彼女の笑顔なのだ。それは理性や情報とは違う場所にある、彼女がわたしにくれた主観だらけの経験でしかない。だが日本人であると同時にわたしは個人であり、何かへの好悪の決定は誰かの扇動ではなく、主観的な経験により成されるべきである。現代において中国と日本の関係は非常にセンシティブで、中国を好ましくないと感じる日本人は大層多いように感ぜられる(逆もまた然り、中国にも日本を好ましく思わない人々が多数いるだろう)。だがその中にどれだけ、中国の文化と触れあった経験に裏打ちされた感情を持っている人がいるのだろう。誰かが作り出したイメージに踊らされている人も少なくないのではないだろうか。
二度と会うことはなくとも、わたしはあの日出会った中国の友人を忘れることはない。彼女もそうだったらいいと思う。そんな風に個人同士の繋がりが重なり合い束となって、中国と日本の間を結ぶ。国と国との繋がりとは、そういうものであってほしいと願うばかりだ。