私と中国の距離
岸本奈於
私が初めて中国に興味をもったのは、高校生のときだった。学校から帰宅し、なんとなくつけた番組は、ある一人の中国人女性について報道していた。テレビ画面は、女性が送る貧しい生活を映し出していた。「大学に行きたいが、経済的に苦しいので進学したいなどと、親に言えるはずがない」と、その女性は淡々と語っていた。それを見て中国のことがもっと知りたい、と思うようになった。しかし、高校生だった私は、中国に行くことも、中国人と関わる機会もなかった。あの頃の私にとって、中国は「遠い国」だった。
大学生になり、私は中国人と直接関わる機会を得ることができた。中国語を学び、日中交流サークルに入り、中国人留学生の友人ができた。中国に行ったことはなかったが、中国人の友人と会話をし、食事を共にするのは、楽しかった。その一方で、高校生の頃テレビで見た女性のことを忘れていた。私にとって中国は、「近くて遠い国」だった。
大学2年生の冬、本物の中国を自分の目で見たいと思い、南京へ半年間留学に行った。南京での生活に慣れてきたある日、印象的な出来事が起きた。私は、日本の自宅に国際便を送らなければならなかった。冬物の衣類や中国で購入した書籍を段ボールに詰め込んだが、重くて一人で運べそうになかったので、手ぶらで業者の所まで行き、荷物をどう送るか相談することにした。業者がある場所に到着したとき、一人の若い中国人従業員が店の中から出てきた。とても温厚そうな雰囲気のある人だった。私は、荷物を日本に送りたいということを伝えた。彼は「電話をかけてくれたら荷物を寮まで取りに行ける」と言ってくれた。早速寮に戻り、荷物を整理し、電話をかけた。5分後に彼は寮まで来て、荷物を受け取ってくれた。「荷物の住所を書かなければならないので、また業者の場所まで来てもらう必要がある」と彼は言った。彼は私を電動三輪車で、その場所まで送ってくれた。電動三輪車に乗っている間、私たちは、中国の話をした。「中国は素質の低い人がたくさんいる」と彼は言った。「でも私の中国人の友達は、賢い人ばかりだからそうは思えない」と私は反論した。「賢いのは、大勢いる中国人の中のほんの一部。中国人全員が大学に行けるわけではないし、いい大学に入れるのは社会のトップの人たちだ」と彼は話した。そして、「大学に行きたかったが、家庭の経済的状況を考えるととても行くことが出来なかった」と打ち明けてくれた。私は、数秒間言葉を失った。私が今まで出会ってきた中国人で、彼のような状況の人はいなかった。幼少期から英語の家庭教師をつけてもらう人も多い。そのような人の多くは、いい大学に入ることができるだろう。しかし、彼はそれができなかった。私は、高校生のときに見たニュースに出ていた女性を思い出した。当時の私は、経済的に厳しい人がいるという事実を頭では理解できても、実感として理解することができなかった。中国で起こっていることは、あくまでも異国で起きている遠い世界の出来事に過ぎなかった。しかし、実際に中国へ行き、その事実を目の当たりにしたからには、他人事と思うことはできなくなっていた。
私は、再び業者の場所に戻り、荷物の住所を書いた。送料を払い、私が帰ろうとしたら、彼は「寮まで送る」と言い、再び私を電動三輪車に乗せてくれた。外はすでに薄暗くなっており、心地よい風を受けながら、趣味や家に飼っている犬のことなど色んな話をした。彼ともっと話をしたかったが、寮に着いてしまった。このまま話を切り上げるのが名残惜しかったが、私は、彼に礼を言い、手を振った。彼も手を振ってくれた。この日から、私にとって中国は「遠い国」でも「近くて遠い国」でもなく、「近い国」になった。長い時間をかけて、やっと中国に近づけた気がした。