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90後のわたし

 

山口真弓

「××上司が、確認してくれていないから、仕事が終わってない!?何それ、本気でいっているの?やっぱり山口は、ゆとり・・・締切を守るということは・・・你是90后吧?90年代に生まれた子は、日本も中国も同じだな・・・。」片言の日本語と中国語で、私を怒鳴り散らす中国人の上司を目の前に、私は、ただ「すみません。」を繰り返すのみで、右から左に聞き流し、その場が早く過ぎ去っていくことをひたすらに願っていました。しかし、「私のせいじゃないし・・・」そんな気持ちが上司に伝わってしまったのか、上司の怒りは頂点に達し、私の普段の仕事に対する姿勢だけではなく、90後やゆとりに対する上司の考えまで聞くことになりました。 

上司によると、中国では、最近、1970年代に生まれた人を、70後、1980年代に生まれた人を、80後、1990年に生まれた人を、90後などと、生まれた年ごとによってグルーピングし、世代における特徴や、考え方、生き方を度々揶揄しているものがニュース記事になっているという。中国経済が急速に発展してきた中で、生活環境や、考え方が大きく変化し、世代間で、目に見えない大きな壁があるらしい。特に、90後は自分が一番大事という考え方が強く、人材として育てるのに苦労するというのだ。そんな、私は1990年生まれ。日本でいえば、ゆとり教育で育ち、中国でいえば90後にあたるのだ。 帰宅後、90後という響きが面白く、怒られたことなど忘れ、インターネットで、90後について、調べることにした。『90後は、一人っ子であり、まるで小さな皇帝のように、わがまま・・・』『自分が常に偉いと勘違いしており、上司を尊敬しない・・・』調べれば調べるほど腹がたつような内容が記載してあった。

そういえば、日本での就職活動の面接の時、「あなたはゆとり教育で育ってきましたが、それについてはどう思いますか。」と、何社かに質問として聞かれたことがあった。その時は、「どう思うって言われても。」と心の中で思ったものの、就職を勝ち取りたかったため、誰が聞いても無難な回答をした。今、考えれば、あれほどおかしな質問はないと思う。ゆとり教育を受けたことは私が選択したことではない。

私は、正真正銘90後だし、ゆとり教育を受けて大人になった。ただ、90後や、ゆとり教育を受けてきたからと言って、みんながみんな、同じ人間ではない。90後の私と、90後の友達は、まったく私と考え方や行動が違うし、仕事に対する姿勢や、上司に対する態度も全く異なる。それは、中国人であるからこうである、日本人であるからこういうべきなのだという偏見や差別と同じではないだろうか。

時代は、もはや変わった。世界が複雑になり、より生き方や考え方が多様になる中で、1人の人間を、1つの型に当てはめて表現することなどできなくなったと思う。だから、私は大きな声でみんなにいいたい「私は、90後!そしてゆとり!だけどそれが何!?」

そう。90後である私も私の一部。ゆとり教育を受けた私も私の一部。それは事実だ。だけど、私は、私であり、唯一無二の存在なのだ。私は、今日も前を向き、勝利を勝ち取るために歩き続ける。

そう、80後の上司を無視して。

 

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