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農村で「村官」になる

 

大都市では就職するのが難しくなっている一方、農村や西部、山間部では人材が不足している。そんななか、「村官」になるという新しい選択肢が登場し、注目を集めている。

 

北京市内から首都空港を抜け、さらに東へ30キロほど進むと、平谷区に入る。平谷は桃の名産地として全国的に名高い。桃畑の規模は世界一を誇り、桃の花の季節になると、あたり一面がピンク色に染まるという。毎年4月には「桃花祭り」も開催される。

 

平谷区の中心地のほど近くに位置する馬坊鎮は、人口約2万人、22の村を管轄する。交通が比較的発達しており、北京市内からは車で約2時間。まもなく高速道路も開通する予定で、市内からのアクセスはますます便利になる。

 

馬坊鎮は北京で最初に「大学生村官」プロジェクトを始めた地区である。同鎮を訪ね、各村でいきいきと働く5人の「村官」に話を聞いた。

 

王麗娜さん(25歳) 農民のために仕事をするのは一生の財産

 

村民委員会の事務所でインタビューに答える王麗娜さん
 王麗娜さんが卒業した北京聯合大学は、北京では「聯大」と呼ばれており、就職率が高いことで有名だ。とくに王さんの専攻でもある工商管理の学生は、就職先として目下一番人気の銀行からもっとも求められている人材である。2006年の春、卒業まであと数カ月というとき、王さんもある銀行の採用試験に参加し、合格通知を手にした。

 

しかしこのとき、別のチャンスも到来した。北京市が農村で就職する学生を募集し始めたのである。当時、学生幹部だった王さんは、政府が提唱するこの新しいプロジェクトに、率先して参加しなければならないと考えた。

 

「私の大学にきた募集は、平谷区の農村で『村官』になることでした。平谷区には祖父母が住んでいて、子どものころからよく行っていました。山に登ったり、川で魚をとったりしていたので、平谷区の山水には特別な想いを抱いていました」

 

王さんはいま、二条街村の「村官」として、同地で生活をしている。

 

「赴任したばかりのころは、村の人たちが歓迎してくれないんじゃないかとか、信用してくれないんじゃないかとか、いろいろと心配でした」

 

村人たちに受け入れてもらうため、王さんが考えたのは、子どもたちに英語を教えることだった。都市部からやってきた若者が子どもに英語を教えてくれることに、村人たちはとても喜んだ。こうして王さんは、子どもたちの親とすぐに親しくなることができた。

 

毎日イチゴハウスに出かけ、村人たちとコミュニケーションをはかる王麗娜さん
 王さんが「村官」になってまもなく、北京市は農村に対する新しい政策を打ち出した。ビニールハウスを利用した果物や野菜の栽培を奨励し、一つのハウスに5000元の補助金を提供するというのだ。

 

 二条街村はこのチャンスに目をつけた。王さんは、果物の栽培経験がある村人といっしょに、山東省煙台市の果物野菜生産基地へ行って技術を学んだ。さらに、当地の農民がイチゴを栽培する課程をビデオにとり、村に帰って村人たちに見せた。そして二条街村は、有機イチゴの栽培を始めた。

 

王さんが大学で学んだことは、イチゴのパッキングや販売過程で生かされた。イチゴケースのメーカーを探したり、有機果物の認証手続きをとったり、販売ルートを開拓したり……。王さんの努力は実り、一年後には、都市部のスーパーが毎日イチゴを仕入れにやってくるようになった。村人の収入も増えた。

 

王さんは「村官」になって、これまでにない達成感を得ている。「クラスメートたちのほとんどは銀行で働いています。私の2倍以上給料をもらっている人もいる。でも私は、農民のためにしっかりと仕事をし、彼らとの交流を通して自分を磨くことができました。これは私にとって一生の財産となるでしょう」。

 

北京で最初に「大学生村官」プロジェクトを始めた馬坊鎮は、大学卒業者が農村の生活に慣れるよう、住居や食事の面で十分な配慮をしている。女子寮は一人部屋で、室内には基本的な家具をはじめ、エアコンやブロードバンド設備が整っている。階下には食堂もある。各自に自転車も支給した。「こんなによい環境が整っているとは思いませんでした。今後のことはまだ考えていませんが、とにかく今はここで働きたいです」と王さんは語る。

 

杜雯さん(25歳)自分に合った仕事こそが最高の仕事

 

自分の部屋で電子オルガンを弾く杜雯さん。農村に赴任してきたとき、宝物である電子オルガンも持ち込んだ。村の人たちのために演奏することもあるという
 中国農業大学を卒業した杜雯さんは、学生時代、苦しい生活を体験したことがある。河北省石家荘市出身の杜さんは、両親とも普通の工場労働者だったが、一人っ子として育ったため、経済的に苦しいことはなかった。

 

大学生のとき、西部の農村の教育支援プログラムに参加した。夏休みを利用して甘粛省の天水市洛門鎮へ行き、1カ月間、小学校の先生をしたのだ。そこは乾燥の厳しい黄土高原で、杜さんは日干しレンガの部屋に滞在した。一カ月間、入浴できなかった。当地の女性は一生に3回「生まれたとき、嫁に行くとき、死んだとき」しか入浴できないと聞いて驚いた。このときの経験がもとになって、卒業したら農村のために何かをしたいと考えるようになった。

 

「私が農村に関心を抱くようになったのは、両親の影響が大きいと思います。私の両親は、『文革』のときに河北省の農村へ行き、人民公社の生産隊で働きました。苦労を尽くしましたが、いま振り返ってみると、そのときのことが一番印象深く残っていると言います。苦しい環境で自分を鍛えたことは、一生の財産だと考えているのです」

 

杜さんははじめ、農村教育の仕事に携わろうと考え、大学4年生のとき、大学院の入試を受けた。残念ながら合格はしなかったが、卒業直前に「大学生村官」のプロジェクトを知った。「これこそが自分に合った仕事だと思いました。企業や事業体に勤めたり、教師になったりするよりも、私には向いていると」

 

杜さんの赴任地は李蔡街村だ。ここで成人学校の管理に携わる。

 

まずは、農作業の繁閑の状況や村人たちの要求に基づいて、授業計画をたてた。栽培管理について学ぶクラスや高齢者向けの健康知識講座、新婚夫婦や出産適齢期の女性に結婚・出産について教える講座などを設置し、村人たちに喜ばれている。夏休みや冬休みのときには、子どもたちに英語や算数などを教えるクラスも開設した。

 

現在は中国農業大学の大学院に社会人入学し、仕事をしながら農業の普及について学んでいる。

 

杜さんのように、大学院に社会人入学する「村官」は多い。基本は仕事をしながら独学し、2週間に一度学校へ行って授業を受ける。かなり大変なことだが、学んだことは実際の仕事で生かせるし、将来の選択の幅も広がる。

 

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