黄騰宇さん(26歳) ここに根を下ろしたい
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黄騰宇さんが催した各種の娯楽活動は、村人たちから好評を博している(本人提供) |
重慶市豊都県出身の黄騰宇さんは、2005年に中国農業大学を卒業し、馬坊鎮の初の「大学生村官」として採用された。赴任地は塔寺村。
「私は去年、村民委員会の委員に選ばれました。任期は三年ですが、少なくとも一期は務めよう考えています。だから、『村官』の契約期間はまもなく満了しますが、引き続き務める予定です。その後のことはそのときの状況によって判断します。ただ、この村を離れることはあっても、平谷区には根を下ろすつもりです。去年、同じく『村官』を務めていたクラスメートと結婚しました。彼女は公務員になって、いまは平谷区の中心地で仕事をしていますので」
黄さんは塔寺村では有名人だ。黄さんのことを知らない村人はいない。ときどき、黄さんの南方訛りの標準語を笑い、「黄氏標準語」とからかうそうだが、仕事ぶりについては、みんな口をそろえて称える。
黄さんが「村官」になってまもなく、中国各地で「鳥インフルエンザ」が流行り、その影響を受けて豚肉の価格も下落した。村の養豚家たちは非常に慌て、一部の人は損失を減らすために豚を早く売ってしまおうと考えた。
このとき、北京市は外地から家禽を入れることを禁止するというニュースを目にした黄さんは、大学で学んだ「代替品」の理論を思い出し、家々を回ってあと半月待つように説得した。黄さんの思ったとおり、豚肉は二十日後に急に値上がりした。こうして、養豚家たちから信頼されるようになった。
塔寺村は政府が新しく建設した開発区内にあるため、大部分の土地が収用され、村人たちの多くは何もすることがなくなってしまった。もちろんほとんど収入もない。しかも村人の多くは中高年であり、年齢が高いうえに専門知識も持っていない。
村人たちを豊かにするにはどうしたらいいか、黄さんはたくさんのアイディアを出した。そしてさまざまな分析や調査の結果、工業パークや物流パークの開発と、高速道路の開通による不動産の開発にともない、ハウスクリーニングやハウスキーパー、車の洗浄などのサービスの需要が高まると考えた。村の余剰労働力は、こういった仕事に就くのに向いていると思い、ハウスクリーニングの会社を設立することに決めた。
この会社の運営はすでに軌道にのった。村人たちの収入もかなり増えた。
黄さんの名刺には三つの肩書きがある。「大学生村官」、村民委員会委員、ハウスクリーニング会社の社長。「これらの肩書きは、私の仕事の状況を示しています。大学で農業を学んだ者として、ここで『村官』を務めるチャンスを借りて、より多くの農村の発展に役立つモデルを探していきたい」
優遇措置で学生を引き付ける
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現代劇『大学生村官の物語』の練習に励む馬坊鎮の「村官」たち。自分たちの実際の体験に基づいて脚本を書き、自分たちで演じている。完成したら村の人たちに見てもらうつもりだ |
北京市の「大学生村官」プロジェクトが全面的に始まったのは2006年のこと。当時、郊外の1800の村が計2016人の学生を採用した。その後、採用はしだいに増え、今年は3087の村に二人ずつ「村官」を配置する予定だ。
任期は3年、月給は大卒で1年目は2000元、2年目は2500元、3年目は3000元。「村官」の給与は市と区の両方の財政から出ていて、村に負担をかけることはない。
また、任期を満了すると、大学院入試を受ける際には十点をプラスする、公務員試験を受ける際には、同じ点数だった場合は優先的に採用する、などの優遇措置をとっている。もちろん、契約を更新したり、ほかの仕事を探すこともできる。
さらに、中国人にとって依然として無視できない「戸籍」の問題も解決する。北京市の戸籍を持っていなくても、仕事や生活にはあまり影響はないが、子どもの進学には大きく関係してくる。
このため、「地方出身の大学卒業者は、採用後に二年連続して審査に合格すれば、戸籍を北京戸籍に変えることができる」と規定している。
北京市の「村官」の応募条件は、まず自ら志願すること。そして専攻が当地の要求に合っていること。応募者は面接試験により、人との交際能力に長けているかを見られる。現在、北京の農村は、農業、英語、コンピューター、工商管理、マーケティング、行政管理などを専攻した学生を欲しがっている。
全国的に広がる「村官」の試み
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河南省湯陰県の農村で「村官」を務める李素青さん。78歳のおばあさんの家の家事を手伝う(NEWSPHOTO) |
中国国家行政学院の劉旭涛教授は次のように語る。「『大学生村官』プロジェクトは、人材育成と新農村建設の両方にとって『ウィン・ウィン』の政策です。人材の育成や訓練の新しいモデルとなった一方、新農村建設の人材不足という難局も打開しました」
しかしこれまでの「村官」の試みは、まだ完璧なものだとはいえない。さまざまな問題が存在する。
海南省儋州市は2000年に100人の「大学生村官」を採用し、優秀な人は2年後に郷や鎮の指導者に昇格させると規定したが、選ばれた人はひとりもいなかった。そして半分の人は農村を離れた。また、経済の発展していない一部の地域では、「大学生村官」に支払う給与が十分に確保できず、これも人材が流失する主な原因となっている。
それでも「大学生村官」は農村建設に積極的な役割を果たす。また、大学生の就職問題を解決する新しい方法として、各地の政府も支持している。
河南省平頂山市はこのほど「村官」の月給を大幅にアップし、短大卒は900元、大卒は1000元、辺鄙な山地に赴任する人にはさらに百元をプラスすると規定した。
「大学生村官」プロジェクト |
農村の人材不足と大学生の就職問題を解決するため、1990年代末期に江蘇省や広東省などで始まり、近年は全国的に広がっている。
「村官」というのは役人のことではなく、村の共産党支部書記や村民委員会の主任(日本の村長に近い)の補佐役。村の指導者たちの仕事を手伝い、農村建設に協力することが求められている。
「大学生村官」プロジェクトは、まったく新しい試みで、「文化大革命」時代の知識青年の「挿隊」(都市を離れて農村へ行き、人民公社の生産隊に入隊する)とは異なる。地方によって政策に若干違いはあるものの、採用方法は基本的に同じ。自ら志願することが第一条件で、契約期間は2~3年。正式に職に就く前に3カ月程度の実習期間がある。
中国の農村部と都市部は、物質的な格差が非常に大きい。都市でずっと生活してきた大学生が、「村官」になる選択をするのは、苦しい生活を覚悟しなければならない。
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