慈覚大師円仁 円仁は、838年から847年までの9年間にわたる中国での旅を、『入唐求法巡礼行記』に著した。これは全4巻、漢字7万字からなる世界的名紀行文である。仏教教義を求めて巡礼する日々の詳細を綴った記録は、同時に唐代の生活と文化、とりわけ一般庶民の状況を広く展望している。さらに842年から845年にかけて中国で起きた仏教弾圧の悲劇を目撃している。後に天台宗延暦寺の第三代座主となり、その死後、「慈覚大師」の諡号を授けられた
円仁とその弟子たちは五台山巡礼に出かけた。五台とは5つの平らな嶺という意味である。それぞれ四方と中心を表しているのは、曼荼羅によくある形式だ。遠くから見るとどれもお椀を伏せたように見える。強い風のために、どの嶺にも樹木が育たない。頂上には唐代あるいはそれ以前からの寺がある。