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現在位置: サイト特集四川・汶川大地震故郷の再建から生まれる希望震災1周年の被災地から

被災地に向かう道

被災地に向かう道

汶川篇

成都から汶川は、約180キロの道のりである。私たちの車は、約6時間でそれを走り抜けた。うち130キロは、岷江沿いで、常に山崩れの危険のある狭い山谷のなかを進む、曲がりくねった道だった。季節は早春、どんよりと曇った空に、肌を刺す寒風、降り続ける冷たい雨、加えて、山頂から落ちてきた巨石、それによって押しつぶされた家屋と車両の残骸が路上の至るところで見え、私たちをヒヤリとさせた。

工事の人々は、すでに都汶(都江堰─汶川)の高速道路上の橋を再建している

そして、この危険な道路の両脇には、任務にあたる多くの人々がいた。彼らは毎日ここで生活し、余震と山崩れをものともせず、山腹に道路を修築し、山頂に電柱を立て電気を通す。道端の砕石の上に座り、食器を抱え、露天で食事する彼らの姿が車窓から見えた。また、風に吹かれる図面を押さえながら、一同がそれを囲み、施工について思案をめぐらす姿も見えた。

道路わきの特別に危険なポイントには、測量ステーションが設けられている。緑色の軍用コートを着て、風雨のなかに立つ測量スタッフは、山の変化を警戒しながら、往来する車両の通行の指揮にあたっていた。このような測量ステーションを70カ所も経て、私たちはようやく汶川についた。

北川篇

北川県城にはいると、空は、昨年の5月12日の大地震発生直後と同じく、暗澹たるものだった。道路沿いの田んぼや山肌には、黄色の菜の花が一面に咲いているのが見え、灰色の天地のなか、そこだけ輝いているようだった。途上には、多くの建設中の建物が見え、まだ完成には至らないとはいえ、前回とはまったく違って見えた。昨年、見えたものは、悲惨な廃墟だったが、今は工事のプロセスが見えるのだ。

地崩れの跡に、一面の菜の花が咲き、人々に自然の力と生命の強さを感じさせている

工事にあたる労働者たちは、一人ひとり、セメントとレンガを手押し車で運んでは、家屋を建てている。農民はかたわらの田んぼで、農作業につかう灌漑用の水路の清掃をしている。路上のトラックは、去年積まれていたミネラルウォーターとテントにかわり、梱包された鉄骨を積んで走っている。

北側県の境界に入ると、河川の向かいの山肌には、新しく建ったばかりの白い壁に黒いひさしのチャン族の住まいが見え、つまり、ここがかつての土地に新しく建てられた吉娜チャン族村である。チャン族の人々はすでにここに入居し、煮炊きの煙があがり、チャン族のトーテムを記した旗が風に吹かれはためき、人々の目を集めていた。今年の春節(旧正月)には、温家宝総理がここを訪れ、当地の人々と羊を丸焼きにし、新年を共に祝った。

都江堰篇

成都から都江堰への高速道路は、大地震によっても基本的には損傷がなく、片道1時間で目的地に着いた。田んぼや工場、民居の庭には、ピンクの桃の花と白いナシの花が満開だった。

途中、巨大な石の台が私たちの目を引いた。ここでは、両地をつなぐ高速鉄道が建設中なのである。鉄道が完成すると、成都と都江堰は30分で結ばれることになり、世界自然文化遺産の土地への旅がずっと便利になる。都江堰は、災難のなかでも朽ちるどころか、新しく生まれ変わっていた。

 

人民中国インターネット版 2009年5月

 

 

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