上海万博の印象
日本中国文化交流協会会長、詩人、作家 辻井喬
日本館の正式行事が6月12日に行われ、人間国宝である狂言の野村萬氏と京劇の指導者尚長栄氏が小生の詩『壽ぎ歌』を参考にして舞われることになった。そこで、その日に合わせて、かねて憧れていた万博を見学するスケジュールが決まった。
6月12日のことである。
夜の式典までの時間、私は日本産業館、そして渡し船に乗って対岸に渡り日本館、万博会場の中でもひと際大きい中国館を見学することにした。
何といっても強い印象を与えられたのは、中国館の最上階に映し出されている『清明上河図』であった。
この大巻の絵巻物は中国美術の至宝と言われているのだが、北宋の末、史上もっとも洗練された都市文化を背景に張擇端が描いたと伝えられる。また長い間行方が分からなくなっていたこの作品が、再発見されたのは1970年代であったことも明らかにされている。今は博物館の奥深くに収蔵されていて、普通では見ることが許されていない。
この5メートルを超える長さの、開封近郊汀河の岸辺の都市の繁栄ぶりを活写した絵は、中国絵画の伝統の中に、梅や牡丹などの花や鳥、峨峨たる山水と、そこに佇む古老の姿を描くようなスタイルとは別に、人々の生活をリアルに描いたもうひとつの流れがあったことを物語っていた。
万博中国館の、上に行くほど拡っている巨大な逆台形の建造物の一番広いフロアの壁画を満しているのは、この拡大された『清明上河図』なのである。しかも、描かれた773人の人々が、ここでは暮らしの中での身ぶり手ぶりを見せて動きまわっているのだ。
この画面の中ほどには中国特有の虹橋が描かれ、河上に浮ぶ25隻の舟の何隻かはその橋の手前で方向転換をしようとしている様が伝わってくる。
これは中国が誇る美術の至宝と先端を行く情報処理技術の見事な融合である。
日本のメディアのなかには国威発揚を担った展示を予想したむきもあったようだが、この中国館には、そうした意図は全く感じられない。むしろ逆に、文化芸術の伝統と先端技術が融合することによって作品そのものが民衆のものになってゆくという思想が、この中国館にははっきり示されているのだと私は思った。
それはかえって、現代中国のゆとりかもしれないと私は思った。1970年、日本ではじめて万博が開かれた時は、当時進みつつあった工業技術がどんな未来をもたらすのか、ということに多くの人々にの関心があったのだが、、現在ではむしろ、進み過ぎた産業技術が人間の社会を危うくしている、という危惧の念が生れているのであり、この中国館は、もっとも進んだ国々の人々の関心に見事に応えているようであった。
私はこの夜、日中の名優によって朗唱される『壽ぎ歌』が、こうした現代の課題とどんな関係になるのだろうかと気になってきた。因みに『壽ぎ歌』は
「神さびし 島々の涯 古えに続く海原
渦潮の碧き拡がり その先の未来への道
来し方を返り見すれば 遥かにも雲は拡がり
(中略)
人は集い{たくみ}匠を競い 進み来たる科学の力
工業のわざ 共に咲く 花の薫り 亜細亜の姿
壽ぎの調べの中に聞ゆるは
いや栄の歌 限りなき平和の光」
となっている。そうしてこの拙速の作は、野村萬氏と尚長栄氏の驚くべき朗唱術(デクラマシオン)によって集った人々を魅了したことを報告しておきたいと思う。
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