中国―日本 友好の絆② 天津
中国初の日本庭園「神戸園」
天津市内の西南部に水上公園がある。多くの市民が運動や散歩をしに訪れる普通の公園に見えるが、実は国内外の観光客が必ず立ち寄る場所となっている。それはここに中国初の日本庭園――神戸園があるからだ。
神戸園の木戸をくぐると、園内には広い芝生があり、その間に日本家屋が点在し、日本の風情を強く感じさせる石灯籠、あずまや、回廊、太鼓橋などが見える。
神戸園は1989年、両市が友好都市関係締結15周年を記念して造成した日本庭園だ。この庭園について最も発言権を持つ人物は張群芳さんをおいて他にない。現在、天津市都市外観及び園林管理委員会視察員の張さんは、間もなく60歳になる。彼は86年に神戸市を訪問した際、そこで目にした庭園風景に強く引かれた。そこで、思い切って天津市に日本庭園を造りたいと申し出たところ、神戸市の宮崎市長はすぐに賛成の意を表した。88年、神戸市は一億円を拠出して神戸園の建設準備を開始したのだった。
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天津市の水上公園にある「神戸園」 |
神戸園のことになると、張さんは自分の子どものように熟知している。「神戸園は一万平方㍍の面積があり、神戸市の地形をもとに設計されました。園内北側に草木が青々と茂る小山は六甲山を象徴し、小南湖とそれに面した露台は神戸港を象徴しています。神戸園は精巧なミニチュアの神戸のようです」と張さんは説明する。神戸園で、日本家屋を建てる時に使った木材、欄干、石灯籠はすべて神戸から直接に運んだものだ。造園を指揮した佐藤司社長は当時すでに70歳を過ぎていたが、よい築山のため、苦労をいとわず自ら山に入り石を選んだ。これには、中国側スタッフも非常に感動したという。
「ここから遠く離れた神戸市には、天津の森があり、それは神戸園とお互いに輝き合っています」と、張さんは紹介する。「83年、神戸市は天津市から贈られたヒマラヤ杉、華山松などの樹木を六甲山の公園に植えました。これが天津の森です。この森のそばには、六甲山のみかげ石と天津の薊県盤山のストロマトライトで造られた友誼山があり、両市市民の友情が岩のように揺るがないことを象徴します」
このほか、天津市は神戸市に漢白玉(大理石の一種)の彫像「百龍嬉水」と中国伝統の建築スタイルを持つ「連翼亭」を贈り、友好都市締結二十周年を祝った。
張さんにとって最も忘れ難いのは、81年に天津のパンダ「蓉蓉」と「寨寨」が神戸で公開された時の盛況ぶりだ。観客は一日最大20万人以上にも及び、皇太子ら皇族も興味津々にパンダを見に訪れたのだ。
教育交流で大きな成果
天津市河西区の馬場道は多くの古い西洋風建築が並ぶことで知られている。この街にあるのが天津外国語大学だ。
1983年、天津外国語大学は神戸外国語大学と姉妹校関係を結んだ。その後、両校の間で互いに教員、研究者を派遣し合う交流は一度も中断したことがない。当時は日本語学部の主任だった修剛学長にとって、88年に日本に赴いた時の経験はいまだ記憶に新しい。「神戸市は私たちを非常に重視し、神戸市長が直接会見しただけでなく、現地の新聞がこの会見を記事にしました。新年など、大きな祝日や行事の際には、私たちは必ず祝賀行事に招待されました」。神戸滞在中、先生たちは大学で教える以外に、市民のための中国語講座も開いた。「神戸の須磨センターで中国語を教えた時、人々の強い学習意欲に感動しました。参加者の中には大学生もいれば、お年寄りもいました。70歳になるというのに、中国留学を希望する人さえいたのです」と修学長は振り返る。
2010年、茶道の裏千家が天津外国語大学内に建築した茶室「風韻庵」。落成式典には千玄室(せんげんしつ)大宗匠(右から3人目)も出席した(写真提供・天津外国語大学) |
長年にわたって、神戸外国語大学は天津外国語大学のために多くの研究者を育ててきた。修学長によれば「今、天津外国語大学の日本語教育の中心メンバーはみなその頃日本へ行った人たちです」という。その後、天津外国語大学は神戸で学生交流を行ってきたほか、東京、札幌、名古屋などの五大学と友好関係を締結した。現在では、天津外国語大学は国家レベルの日本語教育者グループを持ち、日本語専攻の大学生と院生の数は全国でナンバーツーにまでなっている。2011年8月、第十回世界日本語研究教育大会が天津外国語大学で開催され、26の国と地区から2000人余りの研究者が参加した。
人民中国インターネット版 2012年5月