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四川省・峨眉山市 昔日の繁栄を再現する「金頂」

 

海抜3000㍍の山頂にそびえ立つ華蔵寺と臥雲庵

 

金頂の華蔵寺の金殿(右)と高さ48メートルの四面十方普賢金像(左)

  四川盆地の西側に位置する峨眉山は、観音菩薩の道場・浙江省の普陀山、文殊菩薩の道場・山西省の五台山、地蔵王菩薩の道場・省の九華山と並ぶ中国四大仏教名山の一つ、普賢菩薩の道場として知られ、毎年300万人以上が訪れる仏教の聖地である。

 

四面十方普賢金像
四面十方普賢金像の一部
四面十方普賢金像の中に祀られている阿弥陀仏の金像
 峨眉山を造り出したのは、2000万年前のヒマラヤ造山運動である。早くは一万年前、ここではすでに人類が活動しており、4000年あまりの歴史があることがわかる。

華蔵寺の全景(前は大雄宝殿、後ろは金頂)
普賢菩薩の乗り物である六牙白象、遠方の雪山は海7556メートルのゴンガ山
銀殿、臥雲庵
金メッキを施した金殿の扁額
 峨眉山の主峰は、海抜3099メートルの万仏頂であるが、もっとも有名なのは俗に金頂と称される海抜3077メートルの千仏頂である。

 漢代(紀元前206~紀元220年)まで、峨眉山はかつて道教の「第七洞天」であった。『峨眉山志』の記載によると、後漢永平6年(63年)、蒲という姓の老人が、家の近くの雲窩(現在の初殿の近く)で薬草を採集していたところ、足跡が蓮の花のような鹿に出会った。鹿を追いかけて、峨眉山の頂上(現在の金頂)までやって来ると、彼は不思議な仏光(或いは宝光とも呼ばれるブロッケン現象)を見た。自分は菩薩に出会ったのだと蒲老人は思い込み、たいへん驚喜して、自分の住まいを仏を祭るための普光殿(今の初殿の前身)に建て替えた。

 

 金頂に普賢菩薩が姿を現したという言い伝えが広まると、峨眉山では次第に仏教の勢いが盛んになり、道教より優勢となった。

 

 中国において、仏教の振興は、歴代帝王による推進と切り離せないものであり、峨眉山も例外ではなかった。唐太宗(在位627~649年)李世民は仏教を篤く信仰した。彼は秦王であったとき峨眉山の千仏頂に登り、仏を参拝した。唐徳宗(在位780~804年)李適は、「峨眉山を普賢聖地とする」と定めた聖旨を下した。宋朝の2代目の皇帝・宋太宗(在位976~997年)趙炅は太平興国5年(980年)に、宋太祖(在位960~975年)趙匡胤が公布した仏像の鋳造を禁じた政令に背いて、成都に宦官を派遣して金メッキの巨大な普賢菩薩の銅像を鋳造し、峨眉山の普賢寺(現在の万年寺)に安置した。このことがさらに峨眉山の普賢崇拝を促進した。明神宗万暦帝(在位1573~1619年)朱翊鈞は歴代の帝王のうち、峨眉山をもっとも支持した皇帝である。峨眉山の寺院の拡張や修繕のため、彼は三度にわたって詔書を下した。

 

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