南北の技術を融合 伝統の青磁に新風
劉世昭=文・写真 朱志敏=写真
16世紀、「龍泉青磁」が初めてフランスにお目見えすると、フランス人は翡翠のような青磁に驚嘆し、その色合いが当時のフランスで大きな人気を博していた喜劇の主人公「セラドン」の舞台衣装に似ていたため、この頃から「セラドン」は世界的に龍泉青磁の美称となっ
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中国「無形文化財」の龍泉青磁の伝承者である徐朝興大家 |
徐朝興氏の作品『三環瓶』 |
龍泉市は浙江省西南部にあり、江西、福建両省と境を接しており、青磁の産地として名高い。龍泉青磁は晋代(265~420年)から始まり、当時は民間に出回った焼成技術が粗雑で、紋様が簡単な日用品で、「原始青磁」と呼ばれている。五代時代(907~960年)になって、龍泉の青磁産業にやっと目鼻がつき始めた。さらに南宋時代(1127~1279年)になると、青磁焼成が全盛期を迎えた。北方の磁器製作技術が導入され、龍泉窯は南北の技術を融合し、青磁焼成は頂点に到達した。
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『七管瓶』(五代)=龍泉市博物館所蔵 | 『大梅瓶』(南宋)=龍泉市博物館所蔵 |
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『刻蓮紋大盤』(元)=龍泉市博物館所蔵 |
この頃、龍泉窯で釉薬を厚めに塗った碧玉色の厚釉青磁を焼き始めた。それらは、「白素地厚釉青磁」と「黒素地厚釉青磁」の二種類に大別される。そのうち素地が浅黒くて、底部に露出した素地が鉄のような茶褐色を呈し、口部は薄く塗った釉薬が高温焼成によって紫色を呈しているため、俗に「紫口鉄足」と呼ばれている。また、釉薬を塗布した表面に貫入という細かなひびがたくさんあり、よく見かけるのはカニ爪紋、牛毛紋、百圾碎(氷のようなきめ細かいひび割れ)などと呼ばれる大小の紋で、長期間保存されると、これらの亀裂が普通は赤黒色になるため、「金絲鉄線」とも呼ばれている。この種類の青磁はさらに素地の厚いものと薄いものの二種類に分けられ、素地の薄いものを「龍泉官窯」、厚いものを「伝世哥窯」、両者を総称して「哥窯」と呼ばれる。龍泉の哥窯は宋時代に官、哥、汝、定、鈞の「五大名窯」の一つに数えられた。もう一つは、「弟窯」また「龍泉窯」と呼ばれ、龍泉青磁の正統な色彩を代表している。弟窯は素地が白くて釉薬は厚く、釉層が豊富で、きめ細かく潤いがあり、色合いはあっさりしていて上品だ。また、釉色には微妙な変化があり、青にも粉青、梅子青、天青、蟹青、緑豆、生野菜などさまざまな緑色のほか、月の白、灰色がかった黄色、煎り米の黄色などの色調もある。玉を高貴と権力の象徴と見なしてきた中国人にとって、色が雅やかで潤いがある粉青釉が碧玉と同じように、また、青梅のような豊かな濃緑色の梅子青釉は翡翠と同じように貴重なもので、大いに好まれている。粉青と梅子青という二色の青磁は宋時代から極上品と見なされている。
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小梅鎮大窯村にある宋代龍窯遺跡の発掘現場 |