遼寧省・瀋陽市、新賓県 山海関を超える 前の皇帝たちが眠る
満州族の特色残す清の関外三陵
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謎多い福陵
福陵の隆恩殿(左)と方城の城内 |
福陵の神功聖徳碑亭 |
ヌルハチやホンタイジは女真族の出身である。女真族は今の満州族で、長白山を民族の発祥地と見なし、ここから女真族の脈が発していると考えていた。ホンタイジは瀋陽の北東郊外にある天柱山に長白山の脈の末端が来ているので、ここを父の皇帝の陵墓の地に選定した。天聡3年(1629年)に陵墓は完成し、ヌルハチと孝慈皇后の棺はそこに移された。崇徳元年(1636年)、ホンタイジはこれを福陵と命名した。
福陵の神道上の石虎 |
福陵の正門である大紅門の両側には、二つの石牌坊(大きな鳥居形の建物)がそびえ立っているのが目を引く。中国古代の伝統に基づいて、牌坊は、門の前に建っているシンボリックな建築物として、建築群を引き立たせる作用を果たす。それは通常、正門の前に建てられる。
福陵の大紅門 |
大紅門の神道(墓前に通ずる道)に入ると、両側に動物の石像が並んでいる。それは一対の華表(竜・鳳などの図案が彫刻された装飾用の巨大な石柱)と駱駝、馬、虎、獅子の四対の石獣の彫像からなっている。おもしろいことに福陵の石像には、普通の皇帝陵のように文官や武官の石像はなく、魔除けと墓守りの瑞獣(吉祥の獣)もない。ただ実在する四種の動物があるだけだ。
108段の階段を登り、やっと福陵の方城に着く |
石像群を通りぬけ、108段の階段を登ると、陵墓の主要な建築物が目の前に現れる。福陵でもっとも特色があるのは、陵墓区が都城のような造営のルールでつくられていることだ。福陵の外には紅い壁があり、内には方城がある。陵墓の壁の四隅には角楼が建っている。まるで都城の外郭と内城、角楼のスタイルにそっくりだ。
この建築構造は美しいうえに、明らかに防御の役割を帯びている。それは当時の揺れ動く政治・軍事情勢と直接、関係があるのだろう。