太極拳の発祥地 陳家溝(1)
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「陳式太極拳」の始祖・陳王廷の像 |
昨年一年間は24式太極拳の実技講座を連載しましたが、今年は、起源や伝承、流派、套路(型)など太極拳に関するさまざまな知識を紹介します。
太極拳の発祥地は河南省温県の陳家溝。300年以上の歴史をもつ「陳式太極拳」の発祥地であり、「陳式太極拳」は「楊式」「呉式」「孫式」など、現在分派したすべての太極拳の源流だといわれている。
温県は豫北平原(「豫」は河南省の別称)の西部に位置し、黄河、沁河の沖積平原に属する。陳家溝は県城(県政府の所在地)から東に5キロ離れた青風嶺にあり、500余世帯、2500人余りが住む、ごく一般的な村だ。
独特な地理的・人文的環境
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「伏羲台」にある伏羲の像 |
伝説によると、伏羲はここから二つの河を俯瞰し、「太極図」や「河図」を構想、「易の八卦」を作ったとされている。また、ここから西南へ100キロほど行ったところには、少林武術の発祥地として名高い名刹・少林寺がある。こういった独特の地理的・人文的な環境により、太極拳の生まれる基礎が形づくられた。
陳家溝に足を踏み入れると、ここは太極拳の郷であることが至る所で感じられる。二つの大きな牌楼(鳥居型の門)の間には、「陳式太極拳」の祖先を祭る祠堂が堂々とそびえ立つ。これは、太極拳の始祖・陳王廷(1600~1680年)と陳家の歴代の大家を記念して建設された神聖な祠堂だ。
祠堂の中には、塑像や扁額、石碑、壁画などがあり、陳家に伝わる太極拳の歴史が記録されている。祠堂の外には、遠祖・陳卜をはじめ、第9代の陳王廷、第17代の陳発科など歴代の大家の墓碑が並んでいる。祠堂からそう遠くはない東大溝は、陳王廷が八卦の訓練や太極の研究をし、武術を磨いて新しい拳法を創造した場所として知られる。ここでは今でも村人たちが毎朝太極拳を練習している。
村にはこのほか、「楊式太極拳」の始祖・楊露禅(河北省永年県の出身)が陳家第14代の陳長興に師事した場所も残っている。また、大小さまざまな規模の武術学校が二十近くあり、百人以上の生徒が技を磨いている。全国各地および米国や韓国などからやって来た太極拳の愛好者たちだ。
「陳式太極拳」の創始者
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陳家溝の牌楼 |
明の洪武5年(1372年)、山西省沢州郡(現在の晋城)出身の陳卜が一家を引き連れて河南省温県の北部に移り住み、二年後に常陽村に落ち着いた。常陽村には1500メートルほどの長さの溝が三本あり、それぞれ東溝、西溝、中溝と呼ばれていた。その後、陳一族は人がどんどん増えて栄えたため、常陽村は陳家溝と改名された。
明の末期、陳王廷がこの世に生を享けた。武術の名門、下級官吏の家庭に生まれ育った陳王廷は、幼い頃から中原文化の薫陶を受け、拳法に長じており、文武両道だった。青年期は地元で兵を組織して河南、山東、山西省一帯の匪賊を討伐し、名をあげた。
陳王廷は赤ら顔で、髯は胸につくほど長く、手には青竜偃月刀を持ち、三国時代の関羽のようだったと伝えられている。そのため、「二関公」(「関公」は関羽の敬称)と呼ばれた。
後に開封で武挙(武官採用試験)を受けた際、殺人事件に巻き込まれ、官庁から追われた。晩年は故郷で隠居生活を送り、道教や気功の経典『黄庭経』をいつも手元に置いて、民間武術の収集や研究に没頭した。「退屈なときには拳法を創造し……弟子や息子、孫に教える。竜になってもいいし、虎になってもいい」という言葉を残している。そして、『易経』や『黄庭経』に含まれている養生の哲理に教えを受け、家伝の24式長拳(中国武術の一種)をベースに、新型の拳法――太極拳を生み出したのだ。
この太極拳は、太極の陰陽の転換と『黄庭経』の導引術、中国医学の経路に基づいて、明の有名な将軍・戚継光など多くの武術流派の優れた点を研究し尽くした上で生み出されたもので、「五套拳」「五路捶」「双人推手」、そして刀や槍、棒、剣などを使った套路が含まれる。
陳王廷が生み出してから第14代の陳長興(1771~1853年)に伝わるまでの百年あまりの間に、太極拳は大きく発展した。伝承者たちは「陳式太極拳」の套路を豊かにそして完全なものにするため努力を惜しまなかった。
字を雲亭といった陳長興は、家伝を受け継ぎ、それにさまざまな工夫を凝らした。先祖代々受け継いできた套路をベースに、現在広く伝わる陳式太極拳の一つのスタイル「陳式太極拳大架」、大架一路と二路(砲捶とも呼ばれる)を確立。また、家伝の太極拳をよその土地の陳一族以外の人――楊露禅に伝授した。これにより、太極拳は陳家溝から出て、他の地域にも広まるようになった。(次回は「陳式太極拳」の伝承について紹介します)(魯忠民=文・写真)
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