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三清山で雲を踏む散策を

劉世昭=文・写真

「三清山風景区には

ほかでは見られない花崗岩の石柱や山がそびえている。

数多くの奇妙な形の花崗岩に豊富な植生

近くで見るか遠くから見るかによって

異なる表情を見せる風景

心を震撼させる天候奇観と融合し

世界に類のない美学効果を生み出し

人をひきつけてやまない自然美がある」

第32回世界遺産大会で

高く評価された三清山への賛美の言葉である。

三清山奇観の由来

三清山は江西省玉山県と徳興県にまたがっている。主峰の玉京峰は標高1820メートル。晋(265~420年)の時代より、歴代の道家の修行場であった。道家は玉京、玉華、玉虚という三つの峰を神々が住む最高仙境の三清(すなわち玉清、上清、太清)境と考えたため、三清山はその名を得た。

三清山の中でも最高の観光ポイント・南清園

三清山の山岳奇観は、14億年前の原生代以来の3回の海水浸食によって形成されたものである。一回目の海水浸食のとき、三清山一帯の地殻運動は「大地向斜」という沈下段階にあり、4億年の間海水に浸されていた。先カンブリア紀後半、大地向斜式の沈下の歴史が終わり、地殻が徐々に上昇するにつれて、三清山地域は水面に現れてきた。今から6億年前の原生代末期、三清山は2回目の海水浸食に遭遇し、また水の中で1億6000万年間眠っていた。5億年前のオルドビス紀末期には、三清山は再び地面に突き出してきた。4億4000万年前のシルル紀の初期に、3回目の海水浸食が三清山を襲ったが、今回は三清山南東部のへりの部分に及んだにとどまった。

その後の長い歳月、三清山地域では頻繁かつ激烈な造山運動が起こり、断層の広がる山々は上昇し続け、地勢的に巨大な高低差が生じた。また、長期にわたる風化侵食と重力崩壊の作用により、現在の三清山の高くそびえる峰、深く切れ込む峡谷という山岳の奇観が生まれた。

さまざまな姿の神秘的な峰

初春のある夕べ、筆者は三清山の名物とも言える霧の中、ケーブルカーで山に登った。視界は10メートルにも満ず、翌朝の撮影に悲観的な見通しを抱かざるをえなかった。しかし、明け方三時には、空一面の星が見えた。ところが、4時ごろになると、再び霧が出てきて、一時間後にはすっかり深い霧に包まれていた。それでも、6時半になると、東の空がぼんやりと白んできて、朝霞とともに太陽が昇ってきた。山々は金色の光をかぶり、雲海は激しく波立っている。絶好の天気に恵まれ、望外の喜びに感激した。

「巨蠎出山」の景観 雲霧に「仏光」が浮かぶ「三清神光」の景観

三清山は非常に大きな山なので、一日ではとてもめぐりきれない。そこで、「雲と霧のふるさと、松と石のギャラリー」と呼ばれる南清園を訪ねた。南清園には、「三清神光」「珍稀仙葩」「象形奇峰」という「三絶(三つの絶景)」がある。

三清山では、常に瞬間風速毎秒17メートルクラスの強風が吹く。その風は意図せずして「彫刻の達人」となった。南清園観光地北部にある「司春女神」は風化侵食の大作であり、西のほうで女神と離れて向き合う高さ128メートルの花崗岩峰柱「巨蠎出山(山から出てくる大蛇)」は、風化や重力崩壊の作用によって花崗岩が形成した地質的奇観である。「司春女神」と「巨蠎出山」の写真を掲載した米国の『ナショナルジオグラフィック』誌は、「花崗岩地形でこのような景観が形成されているのは、世界でも珍しい。唯一無二のものである」と評価した。

「巨蠎」を離れ、谷間に沿って石の階段を上がり、大禹(紀元前2070年ごろ)が登ったことでこの名がついたという標高1700メートルの禹皇頂に足を運ぶ。中華文明の創始者といわれる大禹は、ここに登って地形を観察し、人々を率いて「百里常山」を切り崩し、洪水を治めたという。禹皇頂から南を眺めると、秀峰が高くそびえ立ち、雲海は波のように逆巻いている。山々は雲霧の中で見えつ隠れつしている。振り返ってみると、雲霧は谷に沿って湧き上がってくる。強い日差しの下、雲霧に含まれる水滴が五彩の光の輪を映し、人々を覆う。これが三清山の三絶の一つ「三清神光」である。これはブロッケン現象である。中国では、このような自然現象を吉祥の象徴と見なし、「仏光」や「宝光」とも呼ぶ。

右:高さ86メートルの女神峰。峰の形が女神に見えるため、「司春女神」とも呼ばれる。左上:玉笏(玉製の、備忘として言上すべき言葉などを裏に書いたもの)を手にした文武百官が、皇帝に拝謁するように見える「万笏朝天」。花崗岩が垂直方向の節理に2つに切断され、風化侵食によって形成した景観 左下:夕日の下の双乳峰(手前)

禹皇頂から南へ下がると、たちまち薄暗い雲海の中に陥った。雲霧の中、西側にある山道に沿ってのぼる。山頂のすぐ前のところで、三清山の十大絶景の一つである「玉女開懐」の姿がぼんやりと見えてくる。この景観は双乳峰とも呼ばれる。標高1558メートルの、花崗岩の構造変化や風化侵食作用によって形成された象形石の景観で、乳房の形をしている。視察に訪れた国連世界遺産委員会の専門家たちは、この二つの「乳首」は人工的なものではないかと疑いを抱いた。そこで、地元の人々は臨時の桟道を作り、専門家たちに山頂にのぼってしっかりと考察してもらい、ようやくその疑いは晴れた。約一時間後、雲霧は次第に消失した。雲の中から山々の峰が美しい姿を現した。雲霧は山々をめぐって流れ、うねり、山々は雲霧の中で見えつ隠れつして、ありとあらゆる変化を呈した。

歴史ある道教の聖地

1600年前の東晋時代(317~420年)、葛洪(284〜364年)という方士が山にやってきて庵を結び、丹薬を作り、道教の宣揚につとめた。やがて三清山は道教の聖地となり、たくさんの道教の建築が建ち並ぶようになった。千年の盛衰の変遷を経て、三清山には現在でもそれぞれ形や規模の異なる道教の寺院および山門、華表、石像、石彫刻、懸崖に施した彫刻などの古い建築や遺跡が230数所残っている。

三清宮を中心とする「三清福地」では、竜虎殿や詹碧雲墓、雷神廟、演教殿、涵星池、飛仙台、天一水池、王祜墓が八卦の分布に基づいて造られ、完全な道場を形成している。道教建築史上において、道教の思想を体現する代表的な手本が残されているため、三清山は「露天道教博物館」と称えられている。

太極八卦の分布に沿って建設した 三清福地の道教建築
三清福地の中心である三清宮

天一水池

竜虎殿

詹碧雲墓

九天応元府

涵星池

禹皇頂から三清福地までは、3.6キロの「西海岸」と3キロの「陽光海岸」という2本の空中桟道で結ばれている。幅約1メートルの桟道は標高1600メートルの絶壁に切り立っている。スリルと刺激に満ちたこの桟道を歩けば、自然に親しみ、触れ合うこともできる。見下ろすと、麗しい峰、奇妙な石が眺められ、「雲漫三清」の絶景も楽しめる。「これは世界に並ぶもののない空中遊覧桟道だ。ギネスブックに『世界最長の空中桟道システム』として登録の申請をすべきである」と、二人のオランダ人環境専門家は言った。

空中の桟道を一周してから、禹皇頂に戻る。太陽はゆっくりと秀峰のそばで沈んでゆく。実際に三清山歩きを体験してみてから、かつて文人がここで残したすばらしい句がさらに心にしみた。

「攬勝遍五岳、絶景在三清(名勝を求めて五岳をめぐったが、絶景は三清にある)」(北宋 蘇軾)

インフォメーション

交通アクセス/自動車道路:上海、杭州からは上海-瑞麗高速道路で玉山県までそれぞれ3時間と4時間。南昌からは温家圳-玉山県梨園高速道路で玉山県まで3時間。

飛行機:玉山県の近くには衢州空港、景徳鎮空港、南昌空港の3つの空港がある。

気候:三清山は亜熱帯気候の地帯に位置し、高山気候の特徴を持っている。年間平均気温は10~12度、7月の平均気温は22度。年間平均降水量は2000ミリ程度。

 

人民中国インターネット版 2009年8月

 

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