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四川省・峨眉山 天真爛漫な聖山の「猿居士」

呉健=文・写真

峨眉山のサルは人々に愛されている珍獣のひとつである。古くは千年あまり前から、人間と密接な関係にあった。長い間仏教の名山に生息しているため、「猿居士」という、言い得て妙な呼び名がついた。さらに、峨眉山の子供という意味で「山児」とも呼ばれた。

峨眉山は四川盆地から青蔵高原にかけての地帯にあり、頂上から西を見渡すと、たくさんの雪山が見える

洪椿坪の廟門の前に座る威厳あるサルの王「黄将軍」

峨眉山のチベットアカゲザルは、中国特有の霊長類の動物である。学名はMacaca thibetana(チベットモンキー)、中国名は「四川短尾猴」「大青猴」とも呼ばれ、国家二級保護動物に指定されている。チベットアカゲザルは山地の広葉樹林に生息し、洞窟や険しい崖の上、あるいは大きな木の上で夜を過ごし、さまざまな植物の葉、芽、果実、枝、筍などを食べる。チベットアカゲザルの寿命は一般に30歳前後で、五歳以降になると子供を産みはじめ、平均して二年に一度出産する。そのため、チベットアカゲザルの増加は比較的安定している。

峨眉山風景区の原生林には、現在でも五から六群れ、合わせて800匹ほどのサルがおり、標高800から2400メートルの清音閣、洪椿坪、九老洞、洗象池など、60平方キロの中山地区に分布している。このあたりは夏と冬の気温にそれほど差はなく、一年を通じて花も果実もあり、サルたちにとって楽園なのである。峨眉山のサルは利口でいたずらであるが、人に懐き、芸をして食べ物をもらい、人々に愛され、長い間、世界遺産の地における「活きた風景」となっている。

チベットアカゲザルは身長60センチ前後、体重は多くが18キロ以上あり、中国のサルの中ではもっとも重いサルの一種である。サルたちは峨眉山の人間が足を踏み入れないような深山や原生林の中で暮らし、喉が渇けば泉の水を飲み、暑くなれば谷川で水浴びし、お腹がすけば木の葉を食べる。冬になると、山は深い雪に覆われ、食べ物を探すのが難しくなるサルたちは、お寺に入り込んでお供えの果物を盗んでゆく。このとき、寺の僧侶たちは定期的にサルたちに食べ物を与えてやると、サルたちは非常におとなしくなり、並んで食べ物を待っているという。

サルの王の専制による集団生活

チベットアカゲザルは長期的に集団生活をしている。サルの群れは一般に15匹のオスザル、数匹のメスザルおよび子ザルで構成され、一 つの群れをつくり、縄張りを決めて治め、互いに礼を尽くして譲り合っている。どの群れも若くて体が丈夫で美しいオスザルをボスとしている。それがサルの王で、敵に出会ったときには王は一番後ろで護衛をする。

サルの王は勇猛で戦いが得意である。サルの王座の争奪は往々にして残酷な格闘を経て、その勝者がサルの王となるのである。

清音閣の牛心亭 九老洞

峨眉山の生態サル区には、「黄将軍」と呼ばれるサルの王がいる。とりわけメスザルたちに愛され、すでに300匹あまりのサルの子供がこの王に従っている。「黄将軍」はたびたび得意満面でサルの子供たちを引きつれて、観光客がもっとも多い場所に食べ物を求めて現れる。他のサルの群れは遠くに立って眺め、「黄将軍」とその群れのサルたちがお腹いっぱいになってからようやく、その食べ残しを拾いにゆく。

サルの王はサルの群れのあらゆる活動をまとめて指揮する。サルたちの間にははっきりと役割分担がなされ、群れの内部では、強いものが弱いものを虐げるようなことも、群れを離れての単独行動も許さない。

近年、霊長学者はチベットアカゲザルの行動生態学の研究において、サルたちが近親交配を避けるメカニズムがあることを発見した。オスザルは発情期になると、自主的にその群れを離れ、他の群れに近づいて「発展」をはかるのである。

サルの王がその地位にあるのは一般に4年から5年で、他のサルたちは王の采配に絶対服従でなくてはならない。また、王には「一夫多妻」の特権があり、群れにいる母ザルはすべて「王妃」であるため、いずれの王も「妻妾が群れになるほど多い」のである。サルの王は決して自主的にその地位から退くことはなく、歳をとって体が衰え、繁殖や群れの管理に耐えられなくなったとき、次の世代の王との戦いに敗れ、サルの群れを追い出されるのである。

利口なサルの遊び

峨眉山のチベットアカゲザルは人間に気付いても驚かず、人懐こい。そして、礼儀正しく人のそばに近寄ったり、可愛らしい仕草をしたりするので、人々に愛される。サルたちは、老若男女、常に威厳のある王に率いられ、寺の前の高台や山道のわきで、耳を掻き、キャッキャッと鳴いては、仲間を呼び、追いかけ、遊んだりしている。寺の前の木々の間を飛びまわるサルもいる。サルたちは「(体操の)床運動」をしたり、「逆立ち」をしたり、「片手大車輪」を披露して見せたりする。観光客はサルたちのすぐれた技に感心し、拍手が沸き起こる。また、一家団欒を楽しんでいるサルたちもいる。オスザルと木の上で寄り添っているメスザルは、白毛の子ザルを抱いている。メスザルが突然、他の木に飛びうつっても、子ザルは落ち着いた様子で母ザルに抱きついている。サルたちが群れをなして遊んでいる時には、「見張り役のサル」が高い木のてっぺんにしゃがみ、偵察や警報、情報伝達の役割を担う。異常に気付くと、キーキーと鳴き声を上げ、みんなに知らせる。ここのサルは「峨眉霊猿」とも呼ばれる。

サルたちのダイエットのために、観光客が食べ物を 与えることは制限されている

観光客に食べ物を求めて「逆さ吊り」になるサル

「峨眉霊猿」と言う呼び名にまつわるいくつかの言い伝えがある。昔から、峨眉山のサルは僧侶や道士、隠居、旅人と深い関りがあり、「青猿が書簡を送る」「白猿が果実を捧げる」「アカゲザルが導く」などの物語が残っている。「青猿が書簡を送る」は、隋の時代に牛心寺にいた高僧の茂真と「薬の仙人」の孫思邈が峨眉山の呼応峰で碁を打つ時、青猿が呼応峰と牛心寺の間を往復し、書簡を送って約束の時間を伝えるという物語を描いたものである。その昔、雲南省からやって来た二人の仏教徒・施紹高と王藎台が、峨眉山を参拝に訪れた。途中、大乗寺で、喉が渇いてたまらない時に、雪のような白い毛をしたサルが道端に三つの仙桃を置いた。二人が桃を食べると、身が軽くなって、飛ぶように進んでいった。これが「白猿が果実を捧げる」の物語である。

峨眉山の中に身を置いて言い伝えに耳を傾け、天真爛漫でいたずら好きなサルを眺めつつ、驚いたり歓んだりしながら、ここの絶景をさらに楽しもう。

サルたちのダイエットプロジェクト

峨眉山のサルはいつも身ぎれいにしている。サルの王妃をはじめメスザルたちは、水面に映った自分の姿をよく眺めている。オスザルは、スカート、特に赤いスカートを穿いている女性が好きで、ちょろちょろと近づいてはちょっかいを出し、甘えたりスカートをめくったりする。

鮮やかに色づいた秋の峨眉山 母親に抱かれた子供のアカゲザル

近年、観光客はサルと遊んだり、食べ物を与えたりしてサルと親しんでいる。中には「サルを見るためだけに、遠くからはるばるやってきました」という人もいる。そのためサルたちは、労せずしてたくさんの食べ物が手に入るので、日に日に体重が増え、肥満になってしまった。それは、サルの王国にも大きな変化をもたらした。王の戦闘力が落ち、地位が脅かされ、王妃たちが「浮気」をするようになったのだ。さらに母ザルの魅力が失われ、「窓際」に追いやられたり、子ザルがよく風邪を引いたり、高血圧や糖尿病のサルが増えたり……。かつての健康だった姿を取り戻させるために、峨眉山のサルの間に集団ダイエットプロジェクトが展開されることになった。

まず、峨眉山の管理者たちは、サルの生息地を管理するスタッフの研修から始めた。スタッフに野生のサルの習慣や性格を把握させ、サルの出没の時間と場所を熟知させた。さらに、四つのダイエット方法を設定した。

一、観光客が食べ物をサルに与えるのを禁止し、専用の餌に限定。

二、科学的な餌の組み合わせで穀物を増やす。

三、サルたちにエクササイズを促し、食べる時間を減らす。

四、獣医を招き、サルの体に応じてダイエットを進める。

ここ数年間、努力の結果として、サルの王はダイエットに対してポジティブになり、自分から食事の量を減らすようになったため、体重も目に見えて落ちてきた。ほかのサルたちにも変化が見えた。一番目立つのは観光客に対する態度の改善である。元気になったサルたちは、観光客と一緒におとなしく記念写真に収まり、食べ物をもらってもすぐに逃げたりしなくなった。サルたちはますます観光客に愛されるようになった。

 

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