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河南省登封市中原文化の粋 古建築群(上)

 

劉世昭=文・写真

中国の伝統的な宇宙観では、中国は天地の中央に位置する国で、天地の中心は中原にあり、したがってここには早くから王朝の国都が立てられ、文化の粋が集まる中心であった。  

河南省登封市の嵩山にある「天地之中」古代建築群は、漢、魏、唐、宋、元、明、清の時代を経た2000年に跨る歴史建築を含む。周公測影台、登封観星台、嵩岳寺塔、太室闕、中岳廟、少室闕、啓母闕、嵩陽書院、会善寺、少林寺建築群の常住院、塔林、初祖庵など、8カ所で計11の優秀な歴史建築である。中国で最も多くの王朝に跨り、建築種類が最多、最も豊かな文化を内包する古代建築群の1つで、古代中国人の独特な宇宙観と審美観を映し出している。

周の時代に建てられた周公測影台は もとは土で造られていたが、唐玄宗の ころに石材に換えられた

中国最古の天文台

おおよそ3000年前、中国人の宇宙観は「天円地方(天は円く、地は方形)」という認識に留まっていた。当時、周王朝の統治者である周公(姫旦)は周の国都をへんぴなところから物産が豊かで文化が発達したところに移すため、占星術を利用して、古陽城(現在の河南省登封市告成鎮とされる)に、後世の人々に「周公測影台」と呼ばれた「土圭」を建て、土圭で太陽の影の長さを観測し、ここを地の中心と定めることによって、ここ中原一帯が天下九州の中心であるという世論を作り、やがて都城を中原の洛陽に遷都した。県誌の記載によれば、周公は東都洛陽を造営するときに、まず台を建造するが、それは「土の深さを測り、日の長さを計り、地の中心を求め、四時を調べる」ためである。つまり土圭で日影の長さを測り、地中を測量し、四季の季節変化を検証したのである。

観星台は、石台と石圭で構成されている。中国古代の日影を測る「圭表」の実物である。日影測定の高い技術 を示している

観星台を上から見ると36個の青い石が敷き詰められている
 

周公は土圭を使った測量で、ここが天地の中心であることを説明しただけではない。同時に四季の変化を検証して記録した。彼は棒の影が最も長い日を「冬至」と定めた。この日の正午、太陽は南回帰線を垂直に直射し、北半球の昼間が最も短い。また、棒の影が最も短い日を「夏至」と定めた。この日の正午に太陽は北回帰線を垂直に直射し、北半球では昼間が最も長い。一年の間で昼間の棒の影が最も長い日から、次の年の昼間の棒の影が最も長い日までを一つの周期とし、一つの「回帰年」と定めた。つまり地球が太陽を一周したことになる。さらに、1年の間で昼間の棒の影の長さが同じで、昼夜が等しい日にちをそれぞれ「春分」と「秋分」と定めた。これが後の人々による実践によって、人間の生産生活に役立つ24節気へとつながっていく。

嵩岳寺塔は、中国に現存する最古のレンガ塔

嵩岳寺内のレンガ構造

周公測影台の後ろにある観星台は、元代の初期から建て始められ至元13年(1276年)に落成した。これは中国に現存する最古の天文台である。元の世祖フビライは中国全土を統一した後、農業・牧畜業の生産を回復するために、著名な科学者郭守敬らを任用し暦法改革に乗り出した。郭守敬にまず新しい天文儀器を開発させ、その後空前の規模で天文大地の測量を組織し、全国27の地方に天文台と観測点を設立した。当時観測を主導したのが登封観星台である。数年の観測を通して推算した結果、至元18年(1281年)に当時世界で最も進んだ暦法「授時暦」を完成した。現代科学技術で推算した回帰年期と比べても「授時暦」はその差がわずか26秒である。

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