視聴者においしさを伝える料理番組キャスター
王焱=文・写真
メディアの猛スピードの成長が、中国のテレビ番組キャスターを、単純な職業から一躍「ブランド」に昇格させた。「80後」(1980年代生まれの人)の劉夢瑶さんは、まさに北京テレビ局の若手「ブランド」キャスターの一人と言える。
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スタジオで『食全食美』の録画撮りをする劉夢瑶さん |
「私は子どものころから話すのが得意で、学校ではよくイベントの司会をやりました」。2002年の春、劉さんは大学入試目前だったが、時間をつくって高校キャスターコンテストに参加し、成績優秀だったため、中国伝媒大学放送学部の入学資格を得て、キャスターへの道に飛び込んだ。
「視聴者と交流する番組のキャラクターとして、いいキャスターとはいつでも誰とでも交流できる人です。しかも自分の表現スタイルがなくてはならない。これは理論を学んだところで習得できるものではありません」
多くの同級生と同じく、劉さんも卒業前から実習し始めた。「大学3年のとき、北京テレビ局に『唐伯虎点秋香』という恋愛番組がありました。この番組制作グループが、恋愛経験が余りない、すこし未熟なキャスターを探していて、結局私が選ばれた。1年ちょっとの番組で、多くのコメンテーターとつき合い、自分が急におとなになったと感じました」
視聴者からの手痛いパンチ
卒業後、劉夢瑶さんは北京テレビ局の正社員になった。『食全食美』という料理番組で、二人の古参キャスターはともに料理のエキスパート、説明しながらやって見せるので、主婦に好評だった。2007年、その中の一人が事情があってやめたため、劉さんが引き継ぐことになった。
「当時の私は料理はまったくのしろうと。しようがなく引き受けたものの、やはり視聴者の目は誤魔化せない。ほどなく、視聴者から電話が来ました。『あの包丁の持ち方を見ただけで料理ができない人だと分かりますよ』、他の人に換えてくださいと言う人さえいました」
子どもの時から負けず嫌いの劉さんは、すぐ不動産会社に頼んで部屋を借りた。借りる際の唯一の条件はキッチン付き。1週間後、劉さんは寮からキッチン付きの部屋に引っ越し、料理への挑戦が始まった。
「料理を作る時は、必ず一人でキッチンに入ります。独り言を言いながら料理を作ります。まったく番組と同じようにやります。そうしないと感じがつかめないからです」
数週間後、自宅に呼んだ友人たちが、やっと彼女の作った料理を食べてくれた。料理の腕が上がったとみんなに褒められた。今は、劉さんも自分の料理に相当な自信を持っている。ただ「家庭料理より、番組で作るいろんな特色ある料理のほうが得意ですよ」と誇らしげに言った。
食べてもふとらない、羨ましい体質
2008年、『食全食美』は大通りや横町の美食探訪という新しい企画が加わった。お陰で劉さんにも一つ新しい仕事が増えた。つまりレンズの前で、手を替え品を替え食べる。「撮影時間を節約するため、半日で3、4軒のレストランで食べ、時には深夜まで食べることもあります。どの店でも、テーブル一杯に料理が並び、はでに飲み食いするふりをしなければなりません」
芝居をするのはいいが、実際に食べなければならない。しかも食べながら評価するのは、結構つらい。女性の視聴者がよく劉さんのブログに「羨ましいです、どうしてあれだけいっぱい食べてスマートなプロポーションを維持できるんですか?」と書き込む。
劉さんはブログで辛さを吐く。「規則正しい食事ができないから、栄養不足なのよ」
新米のキャスターの月給は数千元だが、「中堅」になれば、数万元もらう人もいる。でも、番組によってはキャスターに年齢制限がある。そこで、人によっては転職したり管理層に移ったりする。劉さんはそういうことを気にせず、「料理番組は、長くやればやるほど視聴者に認められます。だからずっと続けていくつもり」と語った。
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人民中国インターネット版 2011年7月