中国大学生の手作りゲーム 『三国殺』が大ブーム
王焱=文・写真
「劉備よ、この暗君め。わしを殺すだと? わしは忠臣ではないか」
「殿、殺してしまいましょう。しらじらしいぞ関羽、この逆賊が!」
「わしが逆賊だと? お前こそ裏切り者のくせに、張飛。ええい、一太刀くれてやるわ!」
通りすがりに、テーブルを囲む数人の若者たちからこんな会話が聞こえてきても、『三国志』(三国演義)にそんな場面があったかと驚いてはいけない。実は、彼らは『三国殺』と呼ばれるカードゲームで遊んでいるのだ。
このゲームはテレビゲームのようにリアルな迫力があるわけではないが、人間同士の交流という面では、テレビゲームをはるかにしのいでいる。
大ブームの『三国殺』
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2009年12月、北京で開催された『三国殺』大会には3~6人で編成された64グループが参加し、観戦者数は3000人に達した(写真提供・遊卡卓遊) |
誰かが「戦死」するとその身分が明かされる。あるベテラン・プレーヤーによれば、「このときに、ほかのプレーヤーの反応に注意しなければなりません。口では『やった!』と言いながらも、目に失望の色が浮かぶプレーヤーがいるかもしれません。半分は戦死者の側なんですから」ということだ。
「殺人推理」と「三国志文化」という人気要素が合体し、このゲームは青年から中年層に幅広い人気となり、あっという間に社交の場、パーティーでの流行アイテムとなった。一部の大学や企業では「三国殺大会」も開かれるようになったほどだ。
2009年9月、『三国殺』標準版が発売され、その後1年足らずで百万セットを売り上げた。コーヒーショップやファストフードショップから会社の休憩室まで、どこでも『三国殺』で遊ぶ人たちを見かけるようになった。さらに、このゲームのためにテーブルと飲み物を提供するテーブルゲーム(カードゲームやボードゲームを含むテーブルを囲んで行うタイプのゲームの総称)・バーまで登場した。こうした店は、上海だけで千軒を数える。
実は、この流行の一切は数人の大学生の手から生まれたものだ。
大学生が作ったゲーム
北京遊卡卓遊公司(YOKA GAMES)の黄愷チーフ・デザイナーは、子どものころからテーブルゲームが好きだった。2006年末、まだ中国伝媒大学の学生だった彼は、欧米のテーブルゲームで遊んだ経験をもとに三国志を背景とするカードゲームを考案し、手作りした。これが『三国殺』の原形だ。
この原形は十数セット作られ、彼と友だちの間で遊ばれただけだったが、このとき重要な人物が登場した。それが現在同社CEOの杜彬さんだ。
杜CEOは清華大学でコンピューターを学んだ博士だ。凡人には、なぜこの秀才がカードゲームなどという「横道」にそれてしまったのかまったく理解できない。
「私は大学4年生からIBMの研究院で働いており、私にとってコンピューターはすでに新鮮さを失っていました。そんなとき、友だちに紹介されて『三国殺』に出会い、自分が何を求めているかに気づきました。それは、起業し、自分のブランドを作り出すことだったのです」
杜CEOは学生たちを説得し、数万元を集めて自分たちの事務所を設立、『三国殺』の商品化をめざした。親や妻もみな反対したが、彼の決意を変えることはできなかった。
「『もし百万セット売り上げたら、いったいいくらになると思う?』と、いつも話していたものです」と杜CEOは振り返る。今では達成してしまった目標だが、実は自分でも本当に自信があったわけではなかった。
「最初は基本的に手作業で製造していました。まずプリントショップに行ってインクジェットプリンターで印刷してもらい、それを厚紙に張りつけ、裁断器で裁断してカードに加工していました。そして、ネットのショッピングモール・淘宝網に出品したのです」
作業は大変で、「こんなものが商売になるのかね」という彼の母親さえも駆り出されて、裁断作業を手伝った。