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オリジナルニーズに応えるPC組立作業員

 

王焱=文・写真

馬玉田さんはオリジナルPC組立販売業務に携わって、すでに20年近くになる。1991年当時、16歳の馬さんは北京に出て来ると、仕事は始めた。当初は建築業に従事していたが、時々中関村へ荷物の配達に行く機会があり、そのうち徐々にPCの組立を覚えるようになったそうだ

北京市中関村のPC関連製品大型売場には、「オリジナルPC組立」と書かれたカウンターが大量にある。購入意思が少しあれば、店員は熱心にデスクトップ型「オリジナルPC」のあらゆるカスタマイズパターンを推薦紹介してくれる。オリジナルPCは、大手メーカーの既製の「メーカーブランドPC」と違い、こうした小さなカウンターでユーザー自身が各パーツを選択購入し、その場で組み立てるので、「自作PC」とも呼ばれる。

馬玉田さんはかつてLenovoグループ(聯想集団)で5年間働いた経験がある。1999年にPC小売市場の発展の可能性に注目し、会社を辞めて、あるPC関連製品売場で4平方メートルのカウンターを借り、自作PC組立販売店を始めた。

馬さんが言うには、この商売に倉庫は必要なく、ユーザーが購入を決めた後に各パーツ卸商へ必要なパーツを発注すればいいそうだ。起業資金もそれほど要らず、リスクも小さい。また、メーカーのものと比べて、自作PCには二つの大きな利点があり、それは安価で、カスタマイズの自由度が高いことだ。メーカーブランドPCは各パーツの組合せが事前に統一的に設計されているので、しばしば市場ニーズの急激な変化についていけず、パーツ交換も思い通りにできないが、自作PCはすべてのパーツに関するニーズをユーザーにその場で聞き、最も理想的な組合せを実現するので、その後のバージョンアップのための「余地」も確保しやすいのだ。

「でも、1年目は6万元も損しました」と、馬さんは語り、今でも当時を思い出すと不安になるらしく、失敗の原因を「独立当時の自分の営業観念が十分転換できてなかったから」と自己分析し、「大企業で営業をしていた時は、立派な特約販売店もあり、製品を店頭に並べれば、お客さんはそれを買ってくれました。しかし、小さな私の店は積極的にこちらから仕掛けないと、お客さんは見向きもしてくれません」と語る。

中関村の海龍大厦市場のPC関連製品売場にある典型的なオリジナルPC組立カウンター

2年目、馬さんは失敗経験を活かし、改めて開業した。「自作PCの欠点はメーカーのものより品質に対する信頼感に欠けることで、PCに対する理解が乏しいお客さんほど、その心配は強い」と語る馬さんは、ユーザーの心理状態がわかるようになってからは、客引きでつかまえたユーザーの目の前で、PCを組み立てながら、丁寧に解説をするようになった。この手法は目の前のユーザーの心配を解消するだけでなく、自店の前を行き交う人々への客引きにもなり、来客数は一気に増えた。

「忙しい時には、20数人のお客さんが並び、私が組み立てるPCを買ってくれ、1ヵ月に100台以上が売れた時もありました」と、馬さんはうれしそうに語る。この1年の馬さんの利益は10万元超で、数年後には、小規模ながらも店を会社化し、オフィスを借り、従業員を雇うまでになった。

「でも、1台のオリジナルPCの組立販売の利益は、10年前の500元から100元にまで減りました」とも語る馬さん。1999年当時は、オリジナルPC組立販売店の数もそれほど多くなかったが、今は中関村だけでも1万店を超え、各メーカーもライン生産の導入で生産コストの大幅削減を実現している。こうした状況から、オリジナルPC組立販売業者は度重なる利益圧縮を迫られたのだ。

その後、馬さんの会社はメンテナンス、ITアウトソーシング、インターネット配線といった多角的業務展開を始め、本来の主要業務である組立販売は全体利益の30%にまで減った。しかし、馬さんはPC販売業務に悲観ではない。「PCに関する知識の普及で、自分の設計案に基づくカスタマイズPCを望む人たちはますます多くなっているので、オリジナルPC組立販売業はまだまだ長期間存続すると思う」と馬さんは最後に語ってくれた。

 

人民中国インターネット版 2010年11月

 

 

 

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