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長城より運河が有益?

 

島影均 1946年北海道旭川市生まれ。1971年、東京外国語大学卒業後、北海道新聞社に入社。1989年から3年半、北京駐在記者。2010年退社後、『人民中国』の日本人専門家として北京で勤務。
江蘇省揚州市の揚州博物館を訪れた時のことです。案内してくれた揚州生まれ、揚州育ちの市の報道担当者が「万里の長城と京杭(けいこう)大運河はどちらも巨大建造物ですが、運河の方がずっと役に立っていますよ」と、力説しました。それまで、この二つを比べて考えてみたことはありませんでした。彼の説明を聞きながら、大運河の起点の杭州に行った時も、ガイドブックに運河と長城を並べて「長城が漢字の右撥(は)ねなら、運河は左撥ね」と、同格の重みを強調して書いてあったのを思い出しました。

杭州市内の大運河を行く平底船

ご当地自慢というだけでなく、大運河は今日の中国の経済発展を象徴する大動脈の一つと言っていいほど江南地方の物流に大活躍しています。「南船北馬」の「南船」の意味を実感できます。現在、長城が中国の国土防衛に役に立っているとは思えませんから、現代的な意義付けをすれば、運河の勝ちでしょうね。20年ほど前に、北京から杭州まで断片的な大運河取材をしたことがありますが、当時は水運というより、まだ、歴史的な遺産としての価値だけが強調されていました。しかし、鄧小平氏の号令で始まった対外開放による経済改革、いわゆる「改革開放」の足音は江南にも響き渡り、地元の報道担当者は「いずれはこの運河を輸送に生かしたい」と、意気込んでいました。それがいま正夢になっています。

運河と言っても、日本の運河のイメージとは大違いです。大河川と見まごう運河を巨大な平底の運搬船が喫水線ぎりぎりまでさまざまな物資を積んで行き来しています。「ばく進中国」を印象付けられました。

さて、京杭大運河は北京市と杭州市を結ぶ総延長2500㌔の人工水路です。万里の長城が2400㌔ですから、総延長でも大運河が勝ちです。ただ、大運河の長さの測り方には諸説があり、約1800㌔としている資料もあります。それにしても、北海道から九州まで届く距離ですから、圧倒されますね。しかも、途中、黄河と長江を横断しています。春秋・戦国時代 (中国)から部分的に開削され、隋の煬帝が整備しました。特に煬帝の運河建設は百万人の農民を狩り出して、わずか数年で完成させたといいますから、苦役を強いられた人々の怨嗟の的になったでしょうね。隋末の反乱の原因となったのもむべなるかなですね。

揚州が明・清時代に繁栄したのも運河のおかげだったようです。水運によって、塩商人が大もうけし、杭州の西湖に似た風光明媚な痩西湖のほとりに立派な庭園を築きました。恐らく許認可官庁の役人を接待するために使ったのでしょう。

ところで、揚州博物館を案内してくれた報道担当者は、懇親会の席で、乾杯を繰り返しながら、煬帝を悪逆非道の皇帝という説に大反論。「運河は今でも役に立っています。歴史的な評価を改めるべきです」と、果敢に持論を展開していました。

 

人民中国インターネット版 2011年10月

 

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