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現在位置: コラム島影均-中国みてある記

瀋陽で歴史にひたる

 

 

 

二〇〇一年十月、生まれて初めてサッカーの試合を見たのは遼寧省の省都・瀋陽でした。当時勤務していた北海道新聞社訪中団の一員として、開設間もない札幌—瀋陽直行便で訪れました。近ごろ、十年ぶりに瀋陽を再訪しました。

島影均 1946年北海道旭川市生まれ。1971年、東京外国語大学卒業後、北海道新聞社に入社。1989年から3年半、北京駐在記者。2010年退社後、『人民中国』の日本人専門家として北京で勤務。

瀋陽は歴史の街です。教科書だけでなく、ファクションの歴史小説でもしばしば登場します。今回、関心があったのは浅田次郎氏の清朝末期の旧満州の馬賊・張作霖をモデルにした『中原の虹』と爆殺事件に至る物語を機関車にも語らせる『マンチュリアン・リポート』の舞台だからでした。

小雨の降る中を張作霖、張学良親子が暮らし、政務を取り、前庭で反逆者を処刑した歴史的事実が残る張氏帥府を見物に行きました。盗賊の親玉の館として想像していたのとは大違いの壮麗な建物で、北欧風の建築様式だそうです。事件後、重症の張作霖が運び込まれ、息を引き取った部屋という説明もあり、歴史的臨場感を堪能することができました。

小雨の中、壮麗な張氏帥府を見上げる観光客
回廊の腰板の部分には彫刻が施されていますが、若い女性が何人もカメラに収めていました。趣味なのか、美術学生なのか聞きませんでしたが、血なまぐさい歴史を経てきたこの建物の芸術的価値に注目している若い人の姿に何かほっとさせられました。

建物の前にそびえる銅像は「千古の功臣」と讃えられるりりしい張学良でした。西安事件の当事者の一人ですが、百歳で亡くなるまで、一切語らず、文字通り波乱万丈の生涯を終えました。

銅像と言えば、瀋陽の中心街の中山広場には毛沢東の巨大な像が瀋陽駅を遠望して建っています。この広場の回りは、日中現代史の史料建築群です。現在は遼寧賓館になっている旧奉天ヤマトホテルや旧横浜正金銀行など、見るからに頑丈そうなビルが建っています。

旧満州、南満州鉄道、関東軍という言葉は、中国東北地方を旅行する際に日本人を緊張させ、何か居心地の悪さを感じさせます。二十年ほど前、記者として北京からハルビンに列車で取材に出かけた時のことを今でも覚えています。心のどこかに原罪意識があり、緊張していました。四人掛けの座席に座りました。残り三人は中国のおじさん、おにいさんたち。三人は列車が北京駅を出るやいなや鶏の丸焼きをサカナに酒盛り開始。何分も立たないうちに私も仲間入り。「どこから来た」「日本」「あっ、そう」。何のわだかまりもありませんでした。

しばらくして、まだ固まったままの筆者が「かつて旧日本軍が…」と、話し始めようとすると、年かさのおじさんが「それはそれ。歴史だが、今は今だよ」と、また二鍋頭(アルクオトウ)という庶民の酒を勧めてくれました。

冒頭に紹介した中国—オマーン戦で、中国チームが勝利を収め、二十年来の悲願だったワールドカップ出場権を獲得しました。(『人民中国』2011年10月号より)(朗読=光部 愛)

 

人民中国インターネット版 2011年10月3日

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