「好!」のひと声が難しい
文・写真=島影均
島影均 1946年北海道旭川市生まれ。1971年、東京外国語大学卒業後、北海道新聞社に入社。1989年から3年半、北京駐在記者。2010年退社後、『人民中国』の日本人専門家として北京で勤務。 |
京劇の舞台。客席から「好(ハオ)!」の掛け声。趙雲を演じる名優・趙永偉さんが立ち回りをキリッと決め、虚空をにらみました。趙雲が曹操の軍勢と渡り合い、撃退した瞬間です。
京劇を最初に見たのは、二十数年前、北京・王府井に近い金魚胡同にあった劇場でした。当時は北京大改造の前でしたから、かなりボロボロの建物で客席も座り心地がよくありませんでした。しかし、舞台から流れる独特の甲高い声を聞きながら、オペラとも、ミュージカルとも違う演劇スタイルだ、これが京劇か、と思った事をかすかに覚えています。歌舞伎と近いかなとも思いました。
うれしいことに、昨年末、北京梅蘭芳大劇院で『三国志演義』に題材を取った『長坂坡・漢津口』(日本公演では『常勝将軍』)を鑑賞する機会がありました。歌舞伎で言えば、弁慶の『勧進帳』のような見せ場でしょうか。ただ、『勧進帳』が「静」ならばこちらは「動」。激しい大立ち回りが観客の目をくぎ付けにさせます。
その舞台を拝見する前に、趙さんの奥様・清水るみさんの案内で、公演前の緊張感がビンビン伝わってくる楽屋を訪れました。趙さんは前半の長坂坡では趙雲、後半の漢津口では関羽を演じる一人二役の主役です。とても、お話を聞く雰囲気ではありませんでしたから、文中で紹介している言葉は、日を改めてお聞きしたものです。
人の出入りが激しい楽屋では、趙さんはじめ、この日の舞台に出演する俳優たちが、鏡の前で、「隈取り」という独特のメークを自分で筆を持って丹念に行っていました。
役柄を強調するため決まった色遣いがあるそうで、赤、青、白、黒の絵の具でくっきり描きます。後で客席から見た時、遠くからでもはっきり分かる隈取りの大切さがよく分かりました。
ところで、趙さんはいわゆる梨園の出で、国家一級俳優の称号を持つ京劇の第一人者の一人です。「実は子供のころはダンスが好きで習っていましたが、女の子の習いごとみたいだと感じて、両親の影響で、五歳から京劇を始めました」、と話してくれました。
歌舞伎などの伝統芸術の次世代への継承は日本では悩みの種ですが、「昔は生活のために京劇俳優を志したひとが多かったのですが、今では好きでこの世界に入ってくる若者が多くなり楽しみですよ」と、後継者難に悩むというより、時代に即した伝統芸術の継承に努力していることを説明してくれました。
京劇を見て十日ほど後に、『人民中国』雑誌社の忘年会が開かれました。余興で『故郷是北京(故郷は北京)』などの京劇風ポップスを歌うひとが何人かいて、驚きました。あの甲高い声が響きました。これまでに日本の忘年会には数えきれないほど出ましたが、歌舞伎風の歌やセリフの余興に出合ったことはありません。京劇の歴史は二百年ほどらしいですが、北京っ子のこころにしっかり根付いているのかも知れませんね。
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楽屋でメークの合間にちょっと…。趙永偉さん(中央)と奥様(右) |
聞き手の社の同僚たちは「ハオ」の掛け声の勘所も心得ていました。真似をしてみたかった私は「ハオ」を連発しましたが、「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」とは行きませんでした。 (題字・中野北溟)
人民中国インターネット版 2012年2月