「3・11」中国大使館員の奮闘記─ (1)
「3・11」東日本大震災発生後、東京の中国大使館の全館員が、被災地にいる中国人の安否確認を最優先し、「人間本位に、外交は国民のために」の理念を実践し、日本の防震・救助活動の最前線で奮闘した。震災一周年を迎えるに当たり、本誌は当時、最前線で奮闘した大使館員の所感と記録の一部を5回連載としてお届けしたい。地震多発国の中日両国の官民があの震災の教訓を共有し、連携を深める一助になれば幸いです。ここで改めて、今なお被災地の再建に必死に取り組んでおられる日本の皆様に、心からの声援をお送り致します。 |
被災地の中国人救済 バス輸送も手際よく
中国駐日大使館領事部 劉敬師
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撤退希望者を手伝う劉敬師領事(左から2人目) |
地震発生後、中国大使館の緊急指揮部は私を長とする連合工作グループを被災が最も深刻だった宮城県に急派し、中国人とくに留学生、研修生などの状況把握を指示した。3月15日、福島原発事故の深刻さと不確実性に鑑み、中国人の人身の安全を最優先する大使館立場から、直ちに、緊急帰国に協力する旨の公告を発表し、工作グループは直ちに任務の重点を緊急帰国に変更した。
工作グループは手分けして、仙台市役所、関連民間団体に問い合わせ、現地で車両を調達し、自主的に被災地からの脱出を希望する中国人を新潟空港へ輸送する手はずを取ろうとした。しかし、現地の被災状況は極めて深刻で、公共交通機関と救助用の車両が最優先で、その上ガソリンが底をつき、現地での車両調達は絶望的だった。しかし、最終的には、大使館の手配によって、新潟から大型バス5台を至急、現地に向かわせることができた。
同日午後6時ごろ、2カ所の集合場所には合わせて7、800人が集まり、一刻も早く撤退したいという期待感と焦燥感が彼らの言葉の端々に現れていた。
われわれは大使館の緊急通告の原則に従い、高齢者、子ども、女性を優先し、秩序よく撤退作業を進めることにした。先ず、緊急撤退の原則とルールを説明し、緊急事態でも冷静さを失わず、指示に従い、互いの理解と協力を要請した。具体的に言うと、先ずパスポートをチェックし、整列させ、20人一組とし、次にボランティアを募り、優先乗車の手伝いを頼み、一台分の人数に達したら、順番に乗車させた。時間が切迫していたため、一人一人の情報登録ができないので、1台当たり一人か二人の携帯を持っていた人に「車長」をお願いし、車内のすべての人の姓名、パスポート番号、携帯番号という三つの基本情報を記録し、新潟到着後、この記録を出迎えにきた新潟総領事館員に渡すよう依頼した。私自身は、車両ナンバー、「車長」の姓名、携帯番号を控え、撤退者情報の完全な把握に務め、次の段階に備えた。
午後8時半までに、5台の大型バスが全部順調に仙台から新潟へ向かい、2時間足らずで、約300人の高齢者、幼児連れを優先した撤退作業を完了し、その間、一言の不満も聞かなかったことで、出足は好調と言えた。
この中にいた一人は「幸いなことに、中国パスポートを持っていた」と感激した口調で語り、一人の東北地方出身の若い中国人男性はわざわざ係官の前までやって来て、深々と頭を下げ、無言で感謝の気持ちを伝えていた。
人民中国インターネット版 2012年3月1日