| 人民中国雑誌社 元社長 沈文玉 | 中日両国は一衣帯水の隣国で、長年にわたって困難な時には互いに支援と協力をしてきました。このような光栄な伝統を今日まで引き継いできました。 私は「人民中国」の元社長で、これまで少なからぬ日本の方たちと友好的なお付き合いをしてきました。今、私は中国の北京に身をおいていますが、心は日本の方々とつながっています。ぜひ日本の方々が団結して困難を克服し、より良い生活ができるよう祈っています。 | | | | 人民中国雑誌社 前社長 于明新 | 日本に大地震がありました。本当に驚いています。私は1980年代から約10年間日本に駐在していました。地震のあった東北地方にも何回もお邪魔しています。地震と聞いて、古い友人との思い出が走馬灯のように目の前に浮かんできます。早速、友人に電話し、みなさんの元気な声を聞きうれしく思いました。連絡の取れなかった方も、無事でありますよう心から願っております。また、原発の事故をテレビで見ました。日本住民が一日も早く、苦難を乗り超えて、元気にいい日本、いいふるさとを築きあげてもらいたいと思います。なくなった方々のご冥福をお祈りいたします。 | | |
| 人民中国雑誌社 ベテラン記者(定年退職) 孫占科 | 『人民中国』は1953年の創刊以来、すでに60年近くの歴史があり、日本には多くの読者がいます。個人的にも多くの方々とお付き合いがあり、いわば親戚のようにお互い尊重し合い、助け合ってきました。今回日本がこのような大きな災害にあったのを見るのは本当に忍びなく、自分が被災したような気持ちです。日本の方々が心を奮い起こして、この不幸と災難に立ち向かって欲しいと願います。 | | | | 人民中国雑誌社 翻訳部職員 秦晶 | マグニチュード9.0の大地震!高さ10メートルの大津波!耳にするだけでも恐ろしい巨大な災害が日本を襲いました。初めて大津波のテレビ画面を見て実にショックでした。今はさらに核物質の漏洩の危機にさらされ、もはや日本だけでなく全人類の災いになりつつあります。わたしは、日本に数年間滞在したことがあります。日本の被災者の方々の安否を心配しながら、私もできるかぎりの手助けをしていきたいと思います。 | | |
| 人民中国雑誌社 ネットセンター職員 于文 | 私はかつて4年間日本で過ごし、訪ねたことのある福島県の小さな村、今は目も当てられない惨状です。地震と津波はいかに命がちっぽけなものかを見せつけました。しかし、救援にいそしむ人々、避難小屋で助け合う人たち、まだ廃墟の下敷きになっているかも知れない人々、あなた方が命の重さを証明してくれました。諦めてはいけません。まだ希望があります。災難に、私たちも一緒に立ち向かいます。 | | | | 人民中国雑誌社 弁公室職員 蔡勁蓉 | 日本の地震に関する連日の報道を見て、あの目を覆いたくなる画面と、心を震撼させる文章を読むと、まるで自分がそこに身を置いているような恐怖を味わいました。遠く日本にいる被災者に心を込めたお手伝いし、彼らの実際の生活に少しでも手助けできたらと思うと同時に、彼らがこの難関を乗り越えることを心から祈ります。 | | |
| 河北代表団 全人代代表 丁強 | 日本が地震災害の多い国だということは知っていましたが、今回の地震の規模がこれほど大きく、被害がこれほど深刻だとはまったく思っていませんでした。私たちは日本で被災された方々の生活に強い関心を持っています。日本の人々が災害に打ち勝ち、早期に正常な生活を回復されることを心からお祈りしています。 | | | | 寧夏代表団 全人代表代表 呉海鷹 | 日本でマグニチュード9.0という大地震が発生したという情報を聞いて、私は非常に驚きました。(今回の災害は)日本の不幸であるだけでなく、全人類の不幸でもあります。私は災害の影響を受けた日本の人々にとても同情しています。被災地区の一日も早い復興を祈ります。 | | |
| 貴州代表団 全人代代表 陳萍 | 私は、日本の宮城県で発生した地震のニュースに強い関心を持っています。被災地のみなさんの幸福を祈り、被災地の一日も早い復興を希望しています。 | | | | 河北代表団 全人代代表 蕭玉田 | 日本で地震が甚大な死傷者と損害を出しているというニュースを聞いて、私は非常に驚き、心が痛みます。これは全人類の不幸です。日本の人々がこの苦難を乗り越えられますようお祈りしています。 | | |