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江蘇省南京市・南京雲錦 天女が教えてくれた煌びやかな錦の織物

 

劉世昭=文・写真

七夕は、織女と牛郎がカササギが架けてくれた橋で会う日であり、織女は地上の美しい景色に引き付けられ、下界に降りて人類に錦を織る技術をもたらしたと伝えられている。このため、人々は彼女を「雲錦の女神」として奉っている。

三王朝御用達の織物

「通経断緯」技法を使って織られた清代の「木の枝を持つ童」の緞子
新石器時代の遺跡である浙江省の河姆渡遺跡の発掘により、中国のシルク工芸が7000年余りの歴史を持つことが証明された。

中国の伝統的な織物の中でも、「錦」は最高の技術レベルを誇り、最も煌びやかなものである。南京のシルク紡績業の歴史は三国時代の呉(222~280年)まで遡る。東晋末期(5世紀初)に、武将劉裕が北伐し、前秦を滅ぼした後、長安にいた各種の職人を東晋の都である建康(今の南京)へ全部移した。その中には錦織の職人が多数いて、彼らは漢、魏・晋、そして十六国時代前半に活躍した少数民族の技を受け継いでいた。417年、東晋は建康に錦織を管理する官署である錦署を設立し、南京の雲錦がここに正式に誕生した。そして、元、明、清の三代(13世紀初~20世紀初)に全盛期を迎えた。この時期に、雲錦は皇室用品に指定され、上は皇帝の礼服から下は文武百官の官服まで、みな雲錦で作られたという。

雲錦の織機は木で造られており、一部の部品に竹が使われている。この織機は「大花楼木織機」と呼ばれ、長さ5.6メートル、幅1.4メートル、高さ4メートルの伝統的な織機で、形は大きいがその構造や機能はとても精巧である。織機は二人が協力して操作し、下には「織手」が、上には「拽花工」がいて、彼らは織布の際、縦糸と横糸を交差させる五つの手順の操作を行う。この二人は織機が出す音を聞きながら協力し合い、二人の熟練工で毎日5センチ程度の雲錦しか織り出すことができない。皇帝の礼服一着分に2年以上の時間が必要で、「錦一寸金一寸」と言われるほどの価値があった。

コンピューターの先祖

雲錦の織布は図案のデザインから始まる。縦横に方眼が引かれた意匠図に、職人が図案の色をます目ごとに塗ってゆく。縦のますは織機の縦糸にあたり、横のますは織機の横糸にあたる。紙上の図案を織機の操作手順に変えるのがキーとなる技術であり、これを「挑花結本」といい、布の縦・横糸を意匠図に沿って模様のパターンに選び取る仕組みである。織布の時、すでに選ばれきちんと結ばれている、生産のプログラミング言語にあたる「花本」を織機の全体コントロールを行うひもに連接し、拽花工がその都度異なる縦糸を取り上げ、下の織手がさらに必要な色糸あるいは金銀糸を横糸として織り入れることによって図案が織り出され、さまざまな色彩の雲錦が出来上がる。今日の目で見れば、「挑花結本」はコンピューターのソフトウェア・プログラミングのようなものである。この二進法の原理を使って織布を行った原始的な工芸は、後に電信機、コンピューターの発明に重要な啓発をもたらし、現代デジタル化設備の先祖とも言える。

大花楼木織機

「挑花結本」には「挑花、倒花、拼花」という三つの技術が含まれる。その中でも挑花が基本的な技術であり、あとの二つは補助的なものである。倒花は「コピー」のような、模様を重複させるもので、拼花は大型の単独模様をつなぎ合わせる時に使うものである。

絶世の技

「粧花」とは、雲錦を織り上げる技術の総称で、最も複雑な技術である。この特徴は、多くの色を使い、豊富な色の変化を持たせることができることにある。この織布技法は異なる色彩の色糸によって、織物の上の模様に部分的に色彩を出す時に使われる。

孔雀の羽を編み上げた孔雀羽糸

雲錦の模様編み技法は、古くからのシルク織布の模様編み技法に源を発するもので、明代にはこの技法が行われていた。これは今までブロックごとに色を分けなければならなかった欠点を補うもので、三種の横糸を張る方法を使い、一般の織布では一本のシャトルで横糸を張るのと異なる。手でシャトルを投げる以外にも、さらに「紋刀」と呼ばれる道具で、片金(細い皮の糸に金箔を貼ったもの)を引き入れる。また、「過管挖花」という色糸を巻いた糸管を縦糸に巻きつける方法が使われ、これは「通経断緯(縦糸を通し横糸を断つ)」と言われて、雲錦織布技術の絶技の一つである。一般的に織物は横に同じ図案が並び、配色も同じである。しかし雲錦はこの技法を使うため、同じ図案に任意の異なる色彩の組み合わせを使うことができる。この彩色技法は色を自由に変化させることができ、今現在、これを機械仕掛けの織機で再現することはできない。これらの手作業による織布の伝統的技術は、師匠から弟子へと代々伝えられてきたものである。雲錦を織るための多くの細やかな技術はみな織る人の記憶と経験によって今にまで伝えられている。これらの技術を使うことにより、あや絹、薄絹、緞子、紗など異なる生地の織物や、華麗でさまざまな色を持つ図案を織り出すことができる。

中でも三粧と言われる「粧金(金で飾る)、粧彩(彩色で飾る)、粧孔雀羽(孔雀の羽で飾る)」は紹介する価値があるだろう。「過管挖花」によって、金や銀の糸、孔雀の羽などを織り込み、彩りとつや、華麗さ、特殊な浮き彫りや象嵌のような立体効果を生み出すことができ、これは皇室御用達の品としての雲錦の特色を余すところなく示すものである。この材料となる金や銀の糸、片金、孔雀羽糸などはすべて手作業で完成させる必要があり、雲錦をさらに貴重なものにしている。

紋刀を用いて片金を縦糸に入れる

雲錦は金糸、銀糸、片金、孔雀の羽糸などを用い、すべて手作業で織られる。金糸作りの無形文化遺産伝承者の王成正さんが「片金」を加工している

南京の雲錦、成都の蜀錦、蘇州の宋錦が中国三大名錦とされる。雲錦は中国の錦織技術を大成したものといえ、元、明、清の三代にわたって皇室御用達の品とされ、頂点に位置付けられる。専門家からは「中国錦織技術史上の最後の一里塚」と言われ、その技術の巧みさは世界でもまれなものである。

現在、雲錦は主に重要文化財の織物の複製や、高級服飾・装飾品の製作に使われている。

 

人民中国インターネット版 2013年3月15日

 

 

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