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外婆的桥

おばあちゃんの橋

 

  那个时候的外婆家,是我的宫殿和乐园。我刚在这边的门缝露出眼睛,又在那边的柱子后面冒出个头,刚在鸡窝里面掏出两只鸡蛋,又在梨子树上耷拉下来半条腿,没过一会儿,又被那扇沉重的大门夹住了裙子。

あの頃のおばあちゃんの家は、私の宮殿であり楽園でもあった。私はさっき、こっちの戸の隙間から目をのぞかせ、またあちらの柱の後ろから頭を出し、次にはニワトリ小屋からタマゴを2つ失敬し、またナシの木の上で脚を半分ぶらぶらさせていたかと思うと、間もなく馬鹿みたいに重い門の間にスカートを挟んでしまっていた。

 

  外婆家屋后的果园是我的后花园,藏了我无数个小秘密。我在核桃树下面埋过花,也曾去板栗树下放过牛,去竹林割过竹笋,去水槽旁的朽木上采过蘑菇朵儿。我曾在土豆田里进入梦乡,醒来一身的蚂蚁,只好跳进小溪里面脱个精光,让外婆拿一瓢水把我从头浇到脚。我也曾爬去蜂窝旁边偷吃隔壁王奶奶家的李子而被蜜蜂蛰得鼻青脸肿,曾经把野果当成美味佳肴结果又吐又泻两天没好,曾经爬上柿子树逞能被受惊的燕子吓得摔下来坐了一屁股烂柿子……而这时候,帮我把眼泪擦干、哄我继续去玩的还是外婆。

おばあちゃんの家の後ろにある果樹園は私の庭であり、無数の小さな秘密の隠し場所だった。私はクルミの木の下にヒロイン気取りで花を埋め※1、クリの木の下で牛を放牧し、竹やぶでタケノコを掘り、水槽のそばにある朽ちた木に生えたキノコを採りに行った。また、ジャガイモ畑に忍び込んで居眠りしてしまったら、起きた時には体じゅうにアリが這いずり回っていて、小川に真っ裸で飛び込んで、おばあちゃんに頭から足まで水をかけてもらった。隣の王おばちゃんのスモモを盗み食いして、そこに巣を作っていたハチに鼻を青く腫れ上がるまで刺されたこともあるし、野生の果実をご馳走とばかりに食べたら、2日間吐き下し続けたこともある。また、ある時には強がってカキの木に登ったら、驚いたツバメにびっくりして木から落ち、ぐちょぐちょになったカキの上に尻餅をついた。こんな時、私の涙を拭ってくれ、続けて遊ぶようにとあやしてくれたのが、おばあちゃんである。

 

  清晨,我在公鸡的鸣叫中醒来,嘴里还吃着外婆为我准备的可口的早餐,心里却已开始盘算今天要去找哪个伙伴玩,我们要玩什么样的游戏,我该怎么去争取当公主而不是丫鬟。我从来不去关心柴米油盐酱醋茶,也很少会觉得自己无事可做,每天心都被好奇和兴奋占得满满的。我常常因为忙着教外婆家的鹦鹉说话以至于忘了吃饭,也曾打着灯笼去马厩看小马驹出生,曾学公鸡打鸣一个人笑得手舞足蹈。晚上,玩累了的我,在火塘边外婆温暖的怀里沉沉地睡去。

 明け方、私はオンドリが鳴き叫ぶ中で目を覚まし、おばあちゃんが用意してくれたおいしい朝ご飯をほおばりながら、今日は誰のところに行って遊ぼうか、どんな遊びをしようか、どうやって女中の役でなく、お姫様の役を手に入れようかなどと、心の中であれこれ算段していた。生活の心配※2をしたことなんかなかったし、また退屈を感じることもほとんどなく、毎日が好奇心と興奮に満ち溢れていた。私はしばしばおばあちゃんの家のオウムに言葉を教え込もうとして食事も忘れるほどだったし、ちょうちんを下げて馬小屋に子馬が生まれるところを見に行ったり、オンドリの鳴きまねを覚え、一人で躍り上がって喜んでいたりもした。夜になると遊び疲れた私は、いろりばたでおばあちゃんの暖かな胸に抱かれ、ぐっすりと眠ってしまったものだ。

 

 (节选自杨凌艳文集《梅花落满南山》之《外婆的桥》)

(楊凌艷文集『梅花落満南山』収録 「外婆的橋」より一部抜粋)

 

翻訳上の工夫

 

作者は1984年雲南省麗江生まれ。作品タイトルは冒頭部分に出てくる童謡の歌詞に由来する。外婆は母方の祖母のことであるが、日本語では父方と母方の祖母の区別がないので、単におばあちゃんとした。

※1.ここで花を埋めたのは、18世紀中頃の小説『紅楼夢』に登場する美少女が散ったモモの花びらなどを、まだ美しいうちにと、庭に掘った穴の中に埋葬するという有名(陳彤 20074月7日 新浪ブログより一部抜粋)

 

なエピソードに由来すると思われるため、「ヒロイン気取り」という言葉を付け加えてみた。

※2.柴米油盐酱醋茶は燃料(たきぎ)・食糧・食用油・塩・みそ・酢・茶のことで、「暮らしに欠くことのできない7つのもの」、すなわち生活必需品を意味する。柴米あるいは柴米油盐だけで同じ意味で使用することもある。

 

 

 

人民中国インターネット版 2014年4月

 

 

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