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我的世界下雪了

私の世界に雪が降る

 

  我还记得2002年正月初二的那一天,我和爱人应邀到城西的弟弟家去吃饭,我们没有乘车从城里走,而是上了堤坝,绕着小城步行而去。

私は2002年旧正月の翌日のことをいまだに覚えている。町の西部に住む弟の家に私と夫が食事に呼ばれ、バスで町中を通ってゆくのではなく、堤防にのぼって、それにそって歩いていった。

 

  那天下着雪,落雪的天气通常是比较温暖的,好像雪花用它柔弱的身体抵挡了寒流。堤坝上一个行人都没有,只有我们俩,手挽着手,踏着雪无言地走着。山峦在雪中看上去模模糊糊的,而堤坝下的河流,也已隐遁了踪迹,被厚厚的冰雪覆盖了。河岸的柳树和青杨,在飞雪中看上去影影绰绰的,天与地显得是如此的苍茫,又如此的亲切。走着走着,我忽然落下了眼泪,明明知道过年落泪是不吉祥的,可我不能自持,那种无与伦比的美好滋生了我的伤感情绪。

その日は雪が降っていて、雪の日というのはふつう、けっこう暖かいもので、まるで雪のつぶがその柔らかでひ弱なからだで、寒波をさえぎっているかのように思えた。堤防に人の姿はなく、われわれ2人だけで、手をとりあって、無言で雪を踏みながら歩いていった。山なみは雪の中であいまいにかすんでおり、堤防の下の川も、それとはまったく分からないほど、ぶ厚い雪で覆われていた。川岸のヤナギやポプラも、雪の舞う中でぼんやりとその影が見えるだけで、天も地もおなじように茫漠※1としていて、また、とても親しい感じがした。歩き続けているうち、私の目から、突然涙がこぼれ落ちてきた。正月早々泣くなんて不吉だとは分かっていたけど、こらえることができなかった。このたぐいまれな素晴らしさが私の感傷をさそったのだろう。

 

  三个月后,爱人别我而去,那年的冬天再回到故乡时,走在白雪茫茫的堤坝上的,就只是我一人了。那时我恍然明白,那天我为何会流泪,因为天与地都在暗示我,那美好的情感将别你而去,你将被这亘古的苍凉永远环绕着!

3カ月後、夫は私のもとから去り、その年の冬、ふたたび故郷に戻ったときには、真っ白な雪で覆われた堤防の上を歩いているのは、私1人だった。そのとき、私はなぜ、あの日に涙を流したのかを、突然理解した。それは、その素晴らしい感覚は、間もなくあなたから去ってしまい、この永久のうら寂しさがずっとまとわりついてゆくだろうと、天と地すべてが私に暗示していたのだ。

 

  所幸青山和流水仍在,河柳与青杨仍在,明月也仍在,我的目光和心灵都有可栖息的地方,我的笔也有最动情的触点。所以我仍然喜欢在黄昏时漫步,喜欢看水中的落日,喜欢看风中的落叶,喜欢看雪中的山峦。我不惧怕苍老,因为我愿意青丝变成白发的时候,月光会与我的发丝相融为一体。让月光分不清它是月光呢还是白发;让我分不清生长在我头上的,是白发呢还是月光。

幸いなことに、山も川も、ヤナギもポプラも、そして明るい月も、そのままだった。私の視線と心には落ち着ける場所があり、私の筆も、最も心動かされるものを持っていた。だから、私はいまだ黄昏時に散歩するのが好きで、水中に日が落ちるのを見るのが好きで、風に吹かれて散る木の葉を見るのが好きで、雪の中の山なみを見るのが好きだ。私は年をとるのを恐れない。なぜなら黒髪※2が白髪に変わったとき、月光が私の髪と一体になって融け合ってほしいと思うからだ。月光が、それが月光なのか白髪なのか、あいまいになれば、私の頭に生えているものも、白髪なのか月光なのか、分からなくなるだろう。

 

(节选自迟子建散文《我的世界下雪了》)

(遅子建『我の世界に雪が降る』より抜粋)

 

 

翻訳上の工夫

 

遅子建は1964年黒龍江省生まれの女性作家。魯迅文学賞を3度受賞している。日本での翻訳書として『アルグン川の右岸』(白水社)など。

※1.このあたりの描写には「ぼんやり」「かすむ」などの意味の言葉が次々に登場していて、日本語でも使い分けに苦労するところ。ここの部分の原文の「苍茫」は、広く果てしないさまを指す言葉。

※2.「青丝」は黒髪の意味。黒いものでも、中国語ではしばしば「青」を使って表現される。

 

 

 

 

人民中国インターネット版  2014年11月

 

 

 

 

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