わたしの目に映る中国
宮坂 宗治郎
私が初めて中国人と接したのは、20 歳の時でした。何気なく履修した大学の授業。そこに彼女はいました。と言っても、中国人だと気付いたのは、2カ月程してからのことで、偶然彼女の隣に座っていた時に中国人らしき名前を呼ばれて彼女が返事していたのを見たからでした。
彼女の日本語はとても流暢で、発音も日本人と見分けられない程だったので、中国人だと知った時は驚きましたが、当時外国語が苦手だった私にとって衝撃でもありました。日本で生まれ育ったわけでもないのに、なぜこんなにも日本語が流暢で、発音さえも日本人と変わらないのかと。
私は彼女に興味があり、話しかけてみたかったのですが、いきなり話しかけたら怪しまれそうで話しかけられずにいました。そんなことをしているうちに大学の授業期間も終わりまで残すところ2週間、けっきょく話しかけることもできず、もう二度と会えなくなってしまうのかなと思っていました。そんな時、私がふと思ったのが、中国語でした。中国語で話しかけたら、答えてくれるのではないかと考えたのです。私は図書館に中国語学習の本を探しに行きました。何せ外国語に苦手意識を持っていた私ですから、中国語なんて「ニーハオ」と「シエシエ」くらいしかわからず、中国語で話しかけられるという保証もこの時はありませんでしたが。
私は1週間かけて毎日中国語を勉強しました。図書館で借りた中国語学習の本、最初は「ニーハオ」が「你好」、「シエシエ」が「谢谢」とわかってゆきましたが、ピンインに苦労して、文字が理解できてもなかなか声に出せないという状況が続きました。それでも、何とか1週間で挨拶程度の中国語は音にできるようになっていました。
大学授業最終日、授業が終わって間もなく私は彼女に話しかけていました。「你叫什么名字?(お名前は何ですか)」とか、「我叫宫坂。(宮坂と言います。)」と言ったちょっとした中国語でしかなかったのですが、彼女はちゃんと答えてくれました。それに、思っていた以上に友好的で、なぜ中国語で話しかけてきたのかとか、中国に興味があるのかとか、そんな話でしばらく話すことができて、怪しまれないかなどと考えていた自分の不安は何だったのかとばかばかしくさえなっていました。
その時をきっかけに仲良くなったのですが、私は内心、中国人は日本が嫌いなのだろうというイメージを持っていました。なぜなら、当時からメディアでは日本に抗議する中国人の情報ばかりが流れてきていたからです。日本への抗議デモ、食品への薬物混入、私には映像の中の中国人と中国人である彼女とが、どうしてもまったく違うように思えて、彼女に思い切って聞いてみたことがありました。「中国の人ってみんな日本人が嫌いなんじゃないの」と。でも、彼女の口からは予想外な言葉が出てきました。「日本人が嫌いな人なんてあまりいないよ。そもそも日本人が嫌いだったら日本に留学してこないでしょう」。そう笑いながら言われてしまいました。
彼女との出会いをきっかけに私は中国語を始め、多くの中国人留学生と知り合いました。そして、彼らは彼女と同様に日本が好きで、日本人と仲良くなりたいという意思を持った人たちばかりでした。その頃の私はもうメディアの中にいる中国人が真実とは思えなくなっていました。
そんな時、2008年日中友好 30周年記念の日本大学生訪中団に参加できるチャンスを得ました。そこで私は7日間、上海、杭州、北京で過ごし、多くの学生や社会人と接することができました。それらの交流の中で、中国人は日本人をどう思っているのか、生の声として答えを聞くことができたのです。何人かの学生が教えてくれました。「確かに戦争を知っている年配の人に日本人を嫌う人は多いかもしれない。でも、今の若い人たちで日本が好きな人は増えてきている。日本のファッションやゲーム等が好きで日本語を勉強する人も少なくないよ」と。そして、彼らとメディアに映るお互いの人についても話し合うことができました。「日本では中国人の日本への抗議活動等の悪いことばかりを放送しているけれど、それは一部の人だけだよ。でも、中国のメディアも日本の悪いところばかりを放送しているので、日本と変わらない。だから、こうやって直接話し合えるのは良い機会だね」と。
その時、私は自分の目で真実を確かめることがどれだけ大切なのかを知りました。これらの言葉だけではありません。1週間のうち1日は中国の一般家庭に預けられ、時間を共に過ごすという機会もありましたが、そこで出会った人たちとは日中の歴史についても語り合い、こう言われました。
「日本は中国に酷いことをしたかもしれない。でもね、長い歴史で見れば中国だって日本に酷いことをしてきている。つまりね、歴史は歴史でしかないんだよ。大切なのは悲惨な歴史を繰り返さなければ良いということなんだ。だから、あなたたち若い人たちはそんなことを気にしないで仲良くすれば良いのだ」と。
帰国してからもう7年程の月日が経ちました。昨今、メディアを通して腐った肉の出荷等、中国を悪く言う情報をよく見かけます。確かにそれも中国の一部なのかもしれません。でも、それが中国のすべてだと日本の人たちに思ってほしくありません。そして、中国の人たちにも同じように思っている人がたくさんいるということを知ってほしい。日本が好きだと言ってくれている中国人もたくさんいるんだということを知ってほしい。それは私の強い想いです。
私は今も中国で出会った仲間や学生時代からの留学生と関係が続いています。初めて知り合った彼女とも、お互い社会人になった今でも時々は会っています。そして、共に笑い合っています。
人民中国インターネット版 2015年1月