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羊肉泡馍的联想

「羊肉泡饃」をめぐる連想

 

 无论在路上如何心急火燎地紧赶慢赶,从高速公路来,坐喷气式飞机来,但进了羊肉泡馍店,你就必须按照古老的时间,慢下来,而且越慢,你那碗羊肉泡馍才越能吃到位。先是要把手洗干净,然后坐下来,品口茶,再细细地把馍掰碎,如果急着吃,把馍掰得大块大块的,会发现再热的羊肉汤也泡不软,还是很硬。所以一定要慢下来,慢下来,要漫不经心地掰,把馍一点点掰到花生米大小,要东张西望,百无聊赖,可以想点自己的心事。莫去想火车开车的时间,也莫去担心停在外面的私家汽车,要像茶叶一样慢慢往茶杯底沉下去。

高速道路で、あるいはジェット機で、どんなに焦って先を急いでやって来たとしても、ひとたび「羊肉泡饃(パンの羊スープ浸し)」の店に入ったならば、昔の時の流れにのっとって、ゆったりと構えなければならず、さらに言えば、ゆったりすればするほど「羊肉泡饃」は食べごろになる。まず、手をきれいに洗い、そして席に着き、お茶を一口味わい、そしてパン(饃)を細かく引きちぎる。慌てて食べようとすると、パンのちぎり方が粗くなるため、どんなに熱い羊スープに浸しても柔らかくならず、堅いままである。だから、必ずゆっくりゆっくりと、無心になって、ピーナッツほどの大きさになるまで引きちぎらねばならない。キョロキョロとあたりを見渡したり、退屈でたまらなかったら、気がかりなことについて考えたりしてもよい。しかし、決して列車の発車時間とか、外に止めた自家用車のことを心配してはならず、次第にコップの底に沈んでゆく茶葉のように、ゆったりと構えねばならない。

  

这时候你的馍就掰好了,刚才一个硬馍,现在蓬松松的成了一大碗,面团像棉花一样一朵朵开放着。身上的汗也凉了,心也静了,富贵或者贫贱也成浮云了,外面等着的什么也忘得一干二净了。于是伙计躬身上来,把你的馍端走,留给你一个牌,谁掰的馍就是谁掰的馍,不会混为一谈,端下去是你的那碗,端回来还是你的那碗。

そうすれば、あなたのパンはすっかりいい具合にちぎれて、今まで一つの堅いパンだったものが、柔らかな、おわんいっぱいの、一つひとつがパカッと口を開けた綿花のようになる。かいた汗もひいて、心も静まり、富貴も貧賤もとるに足らない「浮雲」のように思え、外で待ち受けている事すべてをすっかり忘れ去っている。すると、お店の小僧さんが体を曲げてやって来て、あなたのパンを持ってゆき、引き換えに一枚の札を残してゆく。こうすれば自分のちぎったパンは自分のもの、ごっちゃになることなく、持ち去られたあなたのおわんが間違いなく戻って来る。

  

 我把西安的羊肉泡馍看成日常生活中的一个“慢的仪式”,羊肉泡馍的仪式就是体验感受人生的过程。当你掰着馍的时候,你就像一个农民在收获、劳动,意识到你的手和身体,意识到面粉而不只是食物的名称,你重新意识到粮食,以及那些大地上的耕作者,因为吃到嘴里是这么慢,这么费力,你会珍惜和敬畏。

私は西安の「羊肉泡饃」を日常生活の中の一つの「ゆったり儀式」で、この儀式は人生の過程を体験するようなものだと思っている。パンをちぎっているとき、あなたは収穫し、労働する農民のようで、あなたの手や体を意識し、食べ物の名前以上のものとして小麦粉を意識し、改めて「糧」であること、そしてあの大地の上の耕作者たちのことを意識する。口に入るまでがあまりにゆったりとしていて、手間がかかるため、とても貴重で畏敬すべきもののように感じるからである。  

 

节选自于坚的《羊肉泡馍的联想》

于堅「『羊肉泡饃』をめぐる連想」より一部抜粋

 

 

 ◆翻訳にあたっての◆

 

作者は1954年昆明生まれの作家。「羊肉泡馍」は西安のイスラム料理で、食べ方がちょっとユニークだ。注文すると、まず焼き色のついていない、ホットケーキ形の堅いパンが出てくるので、それを自分で細かくちぎっておわんに入れる。ちぎり終えるとパンの入ったおわんを店の人が厨房に持って行き、その中にスープやいろいろな具を入れて、再び運んで来てくれるというもの。(福井ゆり子)

 

 

 

 

人民中国インターネット版  2015年6月

 

 

 

 

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