呉天明の遺作公開『百鳥朝鳳』
文・写真=井上俊彦
中国映画を北京市民とともに映画館で楽しみ、そこで目にしたものを交えて中国映画の最新情報をお届けするという趣旨でスタートしたこのコラムも5周年を迎えることができました。中国社会がモノを消費する時代からサービスを消費する時代へと変化する中、この5年間で年間興行収入は130億元から440億元に急拡大、郊外や地方都市にもシネコンが続々開業して全国的に娯楽の定番となりました。その間にネット予約が当たり前になるなど、映画を楽しむスタイルも変化しています。そうした周辺事情も含めて中国社会の発展をよく映し出す映画は、日本人の私たちが中国を理解する一つの窓口にもなると思います。6年めもできるだけたくさんの映画をご紹介したいと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。
高度経済成長下の伝統芸能継承
2014年、15年の東京・中国映画週間で『ソング・オブ・フェニックス』の名で上映された呉天明の遺作『百鳥朝鳳』が中国でも一般公開されました。先週末公開の『美国隊長3(シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ)』が大ヒット中で、7日土曜日には1日で2億4000万元強と春節の『美人魚』に迫る興行成績を上げました。この日の全興行収入の8割以上を獲得するすごさです。ということは、他の映画はほとんど良い時間帯には上映されていないわけですが、そんな中でも北京世茂国際影城では夕方から『百鳥朝鳳』を上映してくれましたので、見に行ってきました。発券機に行列ができる混雑のシネコンで、この作品の上映ホールは観客が半分ほどの入りでしたが、若者、特に女性の2人組も多いのが少々意外でした。
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ポスター |
すっかり初夏の陽気のこの週末、シネコンの入るビル前を歩く女性たちも薄着になってきた |
ご覧になった方も多いかと思いますので、ストーリー説明は簡単にしておきます。改革開放初期の1982年、陝西省の農村で冠婚葬祭に欠かせない嗩吶(チャルメラ)楽団を率いる焦三爺のもとに、父親に連れられた游天鳴(ジェン・ウェイ)が弟子入りを願ってやって来ます。なんとか受け入れてもらったものの、厳しい師匠は来る日も来る日も長い竹で湖の水を吸い上げさせるだけです。後から弟子入りした藍玉はもの覚えがよく天鳴より先に嗩吶の練習を許され、楽団の演奏行にも付き従い、天鳴は留守番ばかりでした。しかし、“一弟子相伝”の楽曲『百鳥朝鳳』を教える、つまり後継者に指名されたのは意外にも天鳴でした……。
監督から若者へのメッセージ?
焦三爺を演じたタオ・ザールーはベテラン俳優として独特の存在感を持ちます。以前このコラムで紹介した『哺乳期的女人』の演技も印象的でした。一方、成長後の天鳴を演じたリー・ミンチェンは最近映画やドラマに盛んに出演している俳優で、2年前の『同卓的你』では主人公林一の大学時代のルームメートを演じていました。焦三爺の妻役のチー・ポンも『温州一家人』(2012)『火線三兄弟』(2013)など話題のドラマの母親役でおなじみです。こうした俳優たちが、特に新奇な演出やカメラワークもない中で、しっかりした脚本に基づいた演技で観衆を魅了しています。
『十二公民』『哺乳期的女人』の回
http://www.peoplechina.com.cn/home/second/2015-05/27/content_689711.htm
ご案内のように、呉監督は改革開放初期から1990年代にかけて『古井戸』『変臉 この櫂に手をそえて』などの傑作を次々と発表し、東京国際映画祭などで数々の映画賞を受賞してきました。一方で、西安電影制作所の所長時代に、チャン・イーモウ(張芸謀)、チェン・カイコー(陳凱歌)ら名だたる才能を世に送り出した名伯楽としても知られます。こうした彼の経歴はまさにこの作品の焦三爺に重なるものです。急速な経済成長の中で大きく変化する中国社会にあって伝統芸能の継承は極めて厳しい状況にあります。嗩吶楽団を継承する難しさに心が折れそうになる天鳴ですが、それを叱咤する焦三爺の強烈な自負が際立ちます。初めは「そうは言っても、昔と違って他に娯楽が多い今の時代に伝統芸能を継承するのは大変だよなあ」と見ていたのですが、村長の葬儀で焦三爺が話す「村長は『百鳥朝鳳』で送られるにふさわしい。日本軍や土匪と戦い、その後も村の繁栄に尽くし……」という言葉を聞いて気が付きました。焦三爺が(村長とともに)生きてきた中日戦争、内戦の混乱期、文革などの時代に嗩吶を継承することが現代より楽だったはずがないのです。彼の叱咤は「これくらいの苦労がなんだ! もっともっと厳しい時代にも先人たちが繋いできた文化なんだぞ」という意味だったわけです。
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『美国隊長3』の大ヒットで映画館は大混雑だった。ただ、ネットで座席指定が当たり前になった昨今、チケットカウンターは閑散としている一方、発券機の前にはこれだけの行列 |
そして、嗩吶をメガホンに置き換えれば、このメッセージはそのまま呉監督から現代の映画人への遺言とも取れます。そうしたものが伝わるのでしょうか、上映後もほとんどの観客が席を立たず、エンドロールまで見届けていました。これは普通の映画館ではとても珍しい光景です。若者たちの、呉監督に対するリスペクトだったのかもしれません。ネット映画サイトの採点でも極めて高いポイントが与えられています。
最後に、国産映画では『北京遇上西雅特 不二情書』がヒット中です。タン・ウェイ(湯唯)、ウー・シウボー(呉秀波)によるラブロマンスの『2』です。監督、主演はそのままですが、ストーリーはまったく新しいもので、実は北京もシアトルも出てきません。しかし、ロマンチックなストーリーは前作同様で、若い女性の支持を集めているようです。
【データ】 百鳥朝鳳(Song of the Phoenix) 監督:ウー・ティエンミン(呉天明) キャスト:タオ・ザールー(陶沢如)、ジェン・ウェイ(鄭偉)、リー・ミンチェン(李岷城)、チー・ポン(遅蓬) 時間・ジャンル:110分/ドラマ・歴史・音楽 公開日:2016年5月5日
北京世茂国際影城 所在地:北京市海淀区羊坊店路18号 光耀東方広場4階 電話:010-57536166 アクセス:地下鉄7、9号線北京西站駅下車、A口から地上に出て羊坊店路を北に進み右手のビル、徒歩6分
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プロフィール |
1956年生まれ。法政大学社会学部卒業。テレビ情報誌勤務を経てフリーライターに。 1990年代前半から中国語圏の映画やサブカルチャーへの関心を強め、2009年より中国在住。 現在は人民中国雑誌社の日本人専門家。 |