中国刺繍の靴
白井美羽
十年くらい前の話です。当時の私は中国に中々の知識があると思っていました。なぜかと言うと祖父が仕事の関係で頻繁に中国を訪れていて、現地での出来事や観光地のことを話して聞かせてくれたからです。祖父母の家に遊びに行くと、置物や食器などの中国の調度品が数多くあり、身近に感じていました。
初夏の休日、家族とドライブで横浜に遊びに行きました。何をして遊んだのかは一切記憶に残ってはいないのですが、帰りがけに中華街に立ち寄ったことは鮮明に覚えています。
善隣門から一歩中に入ると、そこは一種独特な色彩、匂いと喧噪で、一瞬にして中国に来たような感じがし、少し気圧されました。
唖然とするほど大きな饅頭が並ぶショーケース、怪奇な表情の大きなお面、原色のチャイナ服、だんだん最初に感じた戸惑いは消えて、街並みに惹かれ始めた時、ある店の軒先から鮮やかなピンクの光が私の視界に入り込んできました。その正体はバレエシューズのような形の靴でした。
すぐさま駆け寄り手に取ると、光沢のある布地に色とりどりの刺繍糸で大小の花の刺繍が施されていて、一目で虜になった私は、ためらう間もなく母に強請ったのです。
母も久しぶりの小旅行で財布の紐が緩んだからか、すんなりと買ってくれました。うれしさのあまり、普段の私らしくもなく小躍りをしてしまったほどです。
すっかり気分が高揚した私は、意気揚々と個々の店を探索し、今まで以上に中国を知った気になっていました。
帰りの車の中では眠さも忘れ、袋から靴を出しては、なめらかな手触りを楽しんだり、足にはめては外したりを繰り返していました。
家に着くとすぐに祖父母に電話をし、祖父に負けじと得意げに中華街の店々のことや買ってもらった靴の話をし、幼い知識をひけらかしました。
その靴を普段に履いて出かけるのが勿体なくて、ピアノの発表会で履こうか、祖父母の家に行く時にしようかなどと決めかねて暫くの間、ピアノの上で特別な日の出番を待っていました。
それから数か月が過ぎ、とうとう待ちに待った特別な日が来ました。姉の誕生日会を母が言うところのお洒落なレストランですることになったのです。私はあれこれと着ていく洋服を考え、やっとオーガンジー生地の白いドレスに決めました。きっとピンクの靴が映えるであろうと。
嗚呼、大変なことが起きました。勿体ぶっていた月日のうちに私の足は、思いのほか成長していたのです。買った時にぴったりだった靴は、飾り物にしていた私を非難しているかのように拒み、履いていられない小さなサイズになっていたのです。
落胆して涙目になりながら、ドレスに普段履いている泥の付いた運動靴というちぐはぐな恰好でレストランに行きました。今となっては笑い話ですが、当時の私にとっては大変悲しく、ショックな出来事でした。
結局、あの靴は見た目の艶やかさに憧れて眺めていただけで、靴としての本当の良し悪しを知ることができなかったのです。
あの靴が生まれた中国という国もテレビで見たり祖父に聞いたりしただけではどんな所かは分からない、当たり前ですが中華街に遊びに行っただけで多くのことが解るはずもないのです。
巨大龍のような万里の長城、幻想的な上海の夜景、圧倒される紫禁城、実際に目にしたときそこにあるのは感動なのか幻滅なのか、考えるとわくわくしてくるのです。
今度は想像しているだけで終わってはいけない。準備として、中国語の勉強も始めました。いつか成長した私の足に合う中国刺繍の靴を履いて中国の壮大な大地を歩く、特別な日のために。