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中国への「恩返し」

 

内藤大河

僕は昔、親の仕事の都合で上海に住んでいたことがあった。生まれて半年で日本から上海に向かい、家の中では日本語、外では中国語という環境で育った。当時の中国はSARSが流行していたり、対日抗議デモが頻発していたりと互いの国の人がお互い良い印象を持っていない時代でもあった。実際、父や母、姉も苦労したと思う。そんな中、こんな出来事があった。

それはある時、母とスーパーマーケットに出掛けたことがあった。買い物をしていた時、通路の反対側からこちらに向かって店員さんが飲料水のボトルが入った山積みのダンボールをカートにのせて運んできた。すると僕の目の前で積まれていた段ボールが崩れ、僕は多くのダンボールの中に埋もれてしまった。周りは大騒ぎになって店員さんはひたすら母に謝っていたそうだ。そんな中、他の中国の人が助けてくれたので、幸い軽く頭を打っただけで済み、大事には至らなかった。その後も「大丈夫か」と多くの人に声をかけてもらったことを今でも覚えている。ただその時の僕は、幼くてどちらかといえば内向的で人見知りが激しかった。だから「ありがとう」と言うことができないまま母に連れられて病院に向かった。そして、この時どうして礼が言えなかったのだろうと今となって後悔している。多くの人に助けてもらったのに、と。

他にも様々な出来事があったが幼稚園の年長の時、また家族で日本に戻ることとなった。上海では色んな人と出会い、何も知らなかった僕たち家族は助けてもらうことが多かったと思う。そんな親しくしていた人たちとの別れはつらかった。

その後は日本で普通の小学生、中学生と進み、高校生となった。そして高校では第二外国語が履修できることを知った。その中に中国語があった。僕は縁がある中国語を学びたいと思った。昔は少しだけ喋れたそうだが、ほとんど忘れてしまったので、今熱心に勉強している。そんな中、僕にはある思いが湧いた。それは「あの時の恩返しがしたい」。ダンボールの中で押しつぶされそうだったところを助けてもらった時に何も言うことができなかった。その後悔を今、中国語を勉強することによって将来、日本と中国をより良い関係にしたいと思うようになった。昔よりはお互いに悪い印象を持っていないとは思うが、それでも今もあまり良くない印象を持つ人が年配の人たちには多いだろう。歴史的には、お互いに色々いざこざがあったかもしれないし、それぞれ謝るべきところはあると思う。しかしそれを、若い僕たちがお互いに越えていくことで新たな友好関係が生まれると思う。僕は、昔からつながりのある両国の関係をより良くしてお互いの国の人がより良い印象を持てるようにしたいと思う。

僕はそのような友好を築くための手伝いができる仕事につき、そこで恩返しがしたい。そしてその友好を築くことは意外と容易いかもしれない。なぜならどちらの国の人も「優しさ」をもっているのだから。

 

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